第1回イタリアオフ会報告 その4

早いもので、夢のようなイタリアオフ会が終わって2ヵ月の時が過ぎました。

記憶が薄れながらも、「楽しかった」という印象は日増しに大きくなり、未だにその余韻に浸って過ごしている有様です。

でも、そろそろ報告もおしまいにして、何か面白いイタリアに関する記事を書かなくてはね。^^

 

これが最後ですのでお付き合いください。

オフ会の最終日は見残したローマの見どころの観光と、参加者の方々のお土産を充実させるために、たまたま我が家の近くにできたアウトレットへ行くことになりました。

 

でも、ローマへ行く前に朝のすがすがしい空気の中、この街の少し上のほうにある自然の放牧場を見ていただくことにしました。

柵があるわけでもなく、馬・牛・豚・ひつじと牧羊犬が仲良く自然にすごしているところをぜひ日本の皆様に見ていただきたかったのです。カンポ1 カンポ2 カンポ3

 

さて、オフ会初日にローマの観光を済ませるつもりがサン・ピエトロ寺院で思いのほか時間をとってしまったことや道路事情によって一般車では思ったところへ入っていけなくて、トレビの泉とコロッセオ、そして真実の口という世界中の方が大好きなローマの名所をまだお見せしていなかったのです。

 

この日は真っ先にコロッセオへと向かいました。

昔は一階部分には自由に出入りができたのですが、かのルテッリという私欲の深い人がローマの市長になってからというもの、ローマの観光がいっきにせせこましいものになってしまい、観光バスが市内を自由に動けないばかりか、遺跡への入場料も上がり、あるいはこれまでは無料だったところが有料になり、どこもかしこも長い列ができることになりました。

 

文句を言っていても始まりません、おかれた状況の中で何とか観光をしなくては。

コロッセオが見える丘の上で大まかに説明をし、待ち合わせの場所を決めてそちらで落ち合うことにしました。

なぜならコロッセオに駐車場はなく、車を止めて置けないからなのです。

大好きなコロッセオ、一番ローマらしい、あるいは一番ローマ帝国のモニュメントらしいコロッセオ。

許されるなら何時間でも説明したいところです。

 

その素晴らしい建築技術、壮大なローマ人の生活、美しい建築物と、そこで繰り広げられた残酷な競技・見世物。

自分に関係のない人間が目の前で殺されるほど面白い見世物はない。

誰の心の隅にも潜んでいるであろうこの思いを現実のものにしてしまったローマ人達。

でも、潔く戦った者は皆で皇帝に意思表示をして助けてあげたというローマ人達。

諸行無常をかみしめながら生きていた人達かもしれないという気がします。

 

説明したところから車で待ち合わせの場所に移って待っていた私ですが、トイレ休憩を含んでいたとはいえ、いささか時間がかかりすぎのようで少し心配になってきたところにようやく皆さんの姿が見えてきました。

そして皆さんは身をよじらんばかりに笑いながらのご帰還です。

ご帰還 (写真中央の4人なのですが・・・)

なぜなら参加者の一人が写真の撮影に夢中になっていてがけから転げ落ち、もしもキョウチクトウの大きな株がなかったら2メーターほどのところへ落下して、大怪我をしていたかもしれないということだったのです。

もちろん大笑いでそういう顛末を話せたのですから怪我もなく事なきをえたのですが。

 

何でもその転がりようが幼児のように無抵抗で可愛かったというのが大笑いの原因のようでした。

キョウチクトウの株に引っかかるようにして止まったので、これからはゆめゆめキョウチクトウをおろそかにはできないなどと笑いはつきませんでした。

 

そのあと、すぐ近くの「真実の口」へ行ったのですが、厳密にはここでも私は車をおいておく場所がなかったので、場所を説明して参加者の方々のみで行ってもらったのですが、運悪く大きなグループがいて、とても時間がかかりそうだということで、外から写真を撮ってすぐに戻ってこられました。

 

さて、最後の名所はトレビの泉です。

でも、そろそろ昼食の時間になりました。

その日は私のわがままを聞いてもらって、ちょうど駐車場からトレビの泉へ行く途中にあるローマでは老舗の日本料理レストランで昼食をとることにしました。

参加者の皆さんは、イタリア料理が大好きで、日本から何がしかの日本の味を持参されたのに、全く手をつけることもなかったという程です。

 

私がローマまで出かけたときには、普段食べられないにぎりずしのような日本食が食べたくて・・・

しかも日本食レストランでは大幅に時間を節約できるのです。

イタリアのレストランで本格的に昼食をとると2時間ほどはすぐにたってしまいます。

そこで皆さんの賛同を得て、ローマに住む日本人達が食べている日本料理を召し上がっていただくことにしました。

 

そして食後はじりじりと焼くつくような日照りの下をトレビの泉へと足を進めました。

トレビの泉を見た方はたいていその立地条件に驚かれます。

大きな広場に面しているのではなく、建物が林立している中に収まっているのです。

設計はニコラ・サルビによるものですが、その場所に設置しようとしたのはローマの街を今日のように美しく飾り立てたジャン・ロレンツォ・ベルニーニです。

バロックの生みの親、あまりにも偉大な芸術家ベルニーニ。

彼の遺産は数百年を経たい今でも、世界中の人々をローマへと呼び寄せているのです。

 

ただ、あまりの人手にいささかうんざりしてしまいました。

そそくさと、コインを投げたい人は投げ、駐車場へと取って返しました。

ラッシュもない中途半端な時間だったので、快適に高速を飛ばし(制限速度内でね・笑)

食後に車の揺れはおおかたの参加者を心地よい眠りに誘い、おそらく眠っていた方にはあっという間にアウトレットに着いたのでした。(笑)

 

そこで約1時間、各自自由に時間をつぶし、それぞれお目当てのものを買い、私もせっかくなので息子のバミューダパンツなどを買って、次の日の出発に備えてのトランクの整理などもあるので早めにホテルに帰りました。

 

そして、いよいよ最後の晩餐です。

初日から皆さんに本場のピッツァを食べていただきたかったので、「今日こそは」とSegniの街の頂上に位置するその名も「パノラマ」というピッツェリーアへ繰り出しました。

Segniは標高680m。ここからは約200の町が見えるといわれています。

 

参加者の一人の方が、ぜひ夜景の見えるところで夕食をとりたいといっておられたので、その希望がかなうようにと、もうずいぶんご無沙汰のこのピッツェリーアを選んだのでした。

思えばこの田舎のピッツェリーアに始めてきた頃には日本人が珍しく、あちこちのテーブルでささやきが聞こえたり、珍しそうに見つめられたりしたものですが、最近はあまりそういうこともない様に思います。

アンティパスト
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もしも誰かがそういう風に見ていたとしても、われわれは何も感じませんでした。

多勢のイタリア人の中にいることさえ忘れるほどに

自分達のペースで楽しんでいたからだと思います。

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大いに笑って、大いにしゃべって(こんなに日本語をしゃべったのは久し振りです)

大いに食べて・・・本当に楽しいオフ会もあっという間に終わってしまいました。

 

翌日は、15人乗りのミニバスで空港へ向かいました。

それぞれがいろんな想いを胸に、ついつい黙りがちになっているのをそのままにしておけばいいものを、バスの中での沈黙はかつての職業意識がなんとなく放って置けなくて、

つまらない無駄口をたたきながら空港に着きました。

 

最後に空港の出発口に行ったのはロスへ行ったときだから2年前。

あの時は空港の警備が非常に厳しくて、航空券を持っていない人は建物内に入れなかったものですが、今回は身分証明書の提示を求められることもなく、そもそも出入り口に警官もいなくてちょっと虚をつかれてしまいました。

 

今でもアメリカ行きの飛行機に乗る人たちの検査は厳しいようですが、そのほかの地域に行くにはそういうこともなく、われわれは少し早くつきすぎて、まだ乗るべき飛行機の表示もない状態でした。

時間つぶしに2階の喫茶店に入り、思い思いの飲み物を買って席について・・・

名残惜しいのですが、田舎まで帰る為にミニバスに待ってもらっているのであまり長居もできず、思い切って別れを告げました。

 

「それじゃァ」といったとたんに帰国組みの方々の目に光るものが見え、やっぱり私も我慢できなくて泣きながら、イタリア人のように肩を抱き合ってお別れしました。

 

冒頭で、

”「楽しかった」という印象は日増しに大きくなり、未だにその余韻に浸って過ごしている有様です。”

と書いたのは、帰国なさった後も掲示板で毎日のようにはなしをし、これまでと違って掲示板上でのはなしにも相手の表情が見えるような気になるので一段と楽しくおしゃべりができるからだと思います。

 

つまり、私にもやっと友達が出来たのだなという実感をもたらしてくれた、素晴らしい置き土産をしていってくれたオフ会でした。

 

遠くから駆けつけてくださった Hitomiさん、まみるさん、Siroさん、

本当にありがとうございました。

こんな素晴らしい企画を実現に導いてくださったYukoさん、ありがとう。

そして日本でも温かくオフ会を見守っていてくださった皆様方、ありがとう。

最後にいつもながらの私事に付き合ってくださっているメルマガの読者の皆様、ありがとうございます。

第1回イタリアオフ会報告 その3

オフ会が終わって、すでに1ヶ月以上たってしまいました。

まだ思いでの中にいたり、どうかすると記憶が薄れたところもありますが、
今回はポンペイ〜ポジターノ行です。

 

もしもツアーなら朝は7時にホテルを出発。

それがそれがイタリアのはとバスツアーなら5時にはローマの共和国広場あたりに集合。

でも、われわれは普段と同じく9時にホテルを出発しました。

かつては国家警察の狙撃班にいたという面白い経歴を持つロティリオさんが今日、われわれを南へ連れて行ってくださいます。

彼は日本語は分からないので、長旅でもあり、おしゃべり好きな彼が退屈しないようにロティリオの大ファンであるうちの息子を話し相手に連れて行きました。

予想通り、二人は一日中飽きることなくしゃべっていました。 (笑)

 

ローマ市内からは高速に乗るまでに時間がかかるのと、うちからポンペイまでは距離も50kmほど短くなるのと、大型観光バスの制限速度が100kmなのに対して、今回われわれが使ったメルチェデスのVitoというワゴン車は普通車の範疇なので、制限速度は130km。

こういう小さな違いが2時間朝の出発を遅らせても十分ほかの観光客達と同じような時間にポンペイの遺跡につくことになるのです。

 

この日も天候に恵まれて、気持ちよく高速道路Aの1号を南下していきます。

Caserta(カセルタ)という町のゲートでいったんこの高速道路とはなれ、そのままSalerno(サレルノ)行きの高速に乗り継ぎます。

この二つの料金所の間からはナポリの車も入ってきて、道路事情はいっきに混沌としてきます。

 

残念ながらこれまでにもお話してきたようにイタリアの南部は治安が悪いです。

高速道路上のサービスエリアでも人相の悪い人たちがうろつき、観光客と見るとなにやら売りつけに来たり、お釣りをごまかそうとしたり・・・・

 

そういうことで不快な思いはしたくないので、トイレ休息を取らずに来ましたが、 このまま遺跡に入ってしまうと、またまたトイレが大変なので、サレルノ行きの高速道路の最初の出口、エルコラーノというところでいったん降りて、すぐ前にあるバールで本格的なナポリのコーヒーを味わい、その隣の老舗のカメオやさんで、作品を見せてもらい、ついでにトイレも拝借することにしました。

 

バールでは、客が立て込んでいるのに一人で何もかもこなす若い女性がいるだけだったのですいぶん待たされましたが、そのうちお客の一人がわれわれを見かねて

「そこのテーブルで待っていなさい、コーヒーは私が持っていくから。」 ということになり、図らずも楽な思いをさせてもらいました。

先ほど南部は治安が悪いといいましたが、個々の人たちはとってもいい人が多いのです。

 

こんな小さなエピソードも加えていけば、きょうの記事も長くなりそうです。

 

さて、おなかが一段落したのでその隣のカメオ専門店へ行きました。

なぜならここがカメオという世界的に有名な浮き彫り細工の本場だからです。

いまやイタリアのどこでも売られてはいますが、やはり作っているところで買えたらそれに越したことはありません。

何人かの先生達はわれわれが見えるように、店内で彫っておられるのです。

先ず、その仕事を見せていただき、ショールームで小さなお土産を買い、その後ゆっくりと待望のトイレへ行きました。(笑)

 

そこからポンペイの遺跡までは15分ほどでしょうか。

大きなグループたちが行ってしまった後で、チケット売り場も混雑がなくスムーズに2000年前の街に入っていきました。

 

Porta Marina
かつてのイタリアの街がみなそうであったように、ポンペイも城壁で周囲を囲まれています。

前方に見えるのが、「海の門」と呼ばれるひとつの出入り口だったところ。

今ではポンペイの表玄関になっています。

この橋が今と2000年前の街との架け橋になっています。

 

今回、このチャンスを生かしてポンペイの細部を写真に残し、書きかけになっているポンペイの人々の暮らしを皆さんにご紹介するのに役立てようと思っていたのですが、

いざ遺跡に入ってしまうと、同行している方への説明に一生懸命になってしまい、ほとんど写真を撮ることを忘れていました。

 

先ずはバジリカという裁判所だったところを通り抜け、ここは街の中心広場フォーロです。

Foro

周囲を2階建ての白い柱列に囲まれた美しい広場で、柱列の外側には屋根があり、雨が降っても散策ができるようになっていました。

でも、今日は遺跡の説明はこれくらいにしておいてわれわれの行動のみを報告します。

ひとつだけ記念写真を・・・teatro Teatro2音楽堂です。

 

かつて、グループをご案内していたときにはこの遺跡の中を1時間15分から1時間半ほどでご案内していました。

今回もそのつもりで入ったのに、気がついてみるとすでに2時間半近く歩いていました。

これでは昼食を逃してしまうことになりかねません。

そこで急いで車を呼び、出口へと向かいました。

幸いにも私が当初希望していたソレントよりもかなり近いヴィーコ・エクエンセの海辺のレストランをPaoloが予約しておいてくれたので遅れの電話を入れながらなんとか席につくことができました。

Paoloは、私が時間に制約されることがなければポンペイの遺跡の中からそう簡単には出てこないという事を当の本人よりもよく分かっていたのですから驚きます。

ご存知だとは思いますが、イタリアのレストランは昼食時が終わると店を閉めてしまって夕食時まで、つまり午後の4時ごろから7時ごろまでは開かないのです。

われわれがついたのがすでに3時近かったでしょうか。

それから2時間ほど至福のときを過ごしました。

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われわれが座っている目の前の景色です。

そしてテーブルには・・・・

アンティパスト 柔らかなイカの生(絶品)タコも柔らかで最高

リゾット リソット・アッラ・ペスカトーラ

 

スパゲティー・アッレ・ボンゴレ  スパゲッティアレボンゴレ

  海老・イカのグリル

イカ海老のグリル 海老・イカのフライ

イカ海老のグリル
新鮮な野菜サラダ

サラダ
デザートの数々

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眼下の海はこんなにきれいな水で魚達が泳いでいます。

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途中すごいにわか雨が降りました。

もちろんわれわれは屋根の下にいるので問題なし。

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われわれが席を立つ頃にはすっかりもとのいい天気になっていました。

この後本当は今回の幹事役でもある大のイタリアファンのYukoさんのたってのご希望でアマルフィのドゥオーモへ行きたかったのですが、もしも行けば帰りが真夜中になるというので、このあたりでは並んで人気のある街ポジターノへと車を向けました。

ポジターノ ポジターノ

今でも海からしか出入りできないホテルなどもある面白い可愛い町です。

カラフルな建物に、色とりどりの衣服や陶器などを売るお店がひしめきます。

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そしてどこもかしこもブーゲンビレア ! ブーガンビレア

この後駆け足でソレントへ。

実はソレントは滞在型の街で、こうして通り抜けるだけではそのよさは味わえないのですが、いたし方ありません。

街の中心広場にこんなかわいい乗り物が止まっていました。

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20分ほどだったでしょうか、それぞれが自由に時間をつぶし、私はそそくさとリモンチェッロを買って、夕暮れのソレント半島を後にしました。

 

第1回イタリアオフ会報告その2

はじめに、

今回オフ会に参加してくださった方々がそれぞれHPにオフ会の記録を発表なさっています。

まみるさんは写真集として、それぞれの写真にコメントをつけておられます。

まみるさんのblog「もっとん家の食卓」

イタリア・オフ会  2007年5月20日(日)〜26日(土)  写真集へ

 

hitomiさんは、その文才を生かして詩的に、またご自分の気持ちもこまやかに記録なさっています。

http://homepage3.nifty.com/hitomisan/  hitomiさんのHP

HPの-日記-で紹介なさっていますのでご覧になってください。

すでに  6.26 日記 Toristico(Sightseeing) No3(旅行記 その6)
6.17 日記 E’ miracolo!(It’s miracle!)これって奇跡!(旅行記 その5)
6,15 日記 Turistico(Sightseeing) No2(旅行記 その4)
6.13 日記 Turistico(Sightseeing) No1(旅行記 その3)
6.8 日記 涙溢れて  (旅行記 その2)
6.4 日記 目覚まし時計(旅行記 その1)

こんなにたくさん書いておられます。

 

Yukoさんは、うちの掲示板で時々報告をしてくださっています。

近いうちに掲示板上の「オフ会情報」を「オフ会報告」に改名して、皆さんの報告をまとめたいと思っています。

 

さて、前置きが長くなりましたが、

オフ会2日目の今日はある意味で、今回のオフ会のハイライト・・と自分でいうのは変ですが、なんといってもKeikoに会ってやろう、Keikoの庭を見てやろうというのがみなさんをイタリアへ向かわせた大きな動機のひとつだと思っています。

 

毎日楽しく庭仕事をし、きれいに咲いた花達を愛でては幸せな私ですが、やはり誰かに「きれいねぇ」と言ってもらえると何倍も幸せです。

しかもわざわざ日本から見に来てもらえるなんて、なんとも光栄なこと。

そんな思いがいささか私の気持ちを舞い上がらせ、決して上手にはご案内できませんでした。

庭のストーリーや花の特徴や、そんなことを話しながらゆっくり写真も撮って頂いたら良かったのに、なんだか気がはやってどんどん歩いていただけのような気がします。

 

でも、小さな楽しいサプライズもありました。

うちのブドウ畑は隣のエリオさんちと隣接しているのですが、エリオさんちの大きな桜の木の枝がブドウ畑のほうへはり出だしていて時まさにさくらんぼがたわわに実っていたのです。

しかもちょうどエリオさんが通りかかり、「どんどん食べなさいよぉ」と声をかけてくださいました。

(去年もおとどしもこのさくらんぼことなど知らずにいたのですよ(笑)

早速取り立てのさくらんぼを皆でほおばりました。

エリオさんは、数年前に消毒をしていて気分が悪くなって以来、決して薬を使わないので安心していただけます。

 

その後は、うちの畑のイチゴをひとりにひとつずつしかありませんでしたが召し上がっていただきました。

うちの畑も、水と太陽と土だけの産物です。

ちょうどオフ会の直前にギョリュウバイを買ったので、それを記念に皆さんに決めてもらったところに植えつけようと思っていたのですが、やはりすぐには場所が決まりませんでした。

後日、オフ会のあとも3週間イタリアにとどまるYukoさんに代表して決めていただきました。

これまでギョリュウバイは2本枯らしているのですが、今のところ元気です。^^

 

さて、この後は以前メルマガでご紹介したFumoneという街へ行き、美味しいものを食べて、お城の見学も待っています。

 

先ず車を止めたのはLago di Canterno=カンテルノ湖。lagodicanterno01
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色がこんな風になっているのは、日本から新しいデジカメを買ってきてもらって、まだ何もセッティングをしていなかったからなのです。

ほかの方々は私が一生懸命デジカメと格闘しているところを写真にとっておられます。(笑)

シャッターを押してくださったのは、今回の黒一点、まみるさんのご主人です。

この野原にもたくさんの可愛い花が咲いていました。

 

ここからFumonへはすぐなのですが、道はカーブがきつくなり、Fumoneへ上り始めるといくつかヘアピンカーブもでてきます。

小さな車で、皆さん本当にお疲れ様でした。

 

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われわれ以外には観光客は誰もいないフモーネの町。

おいしそうな香りのクッキーを焼くお店が開いていました。

そこで早速いろいろ味見をして、皆さんは日本への最初のお土産ができました。

荷物になるから後で買おうといったらもう昼休みになり、午後は4時過ぎにならないとあかないというのでたくさんのクッキーを買って車に積み込んで、待望のレストランへ向かいました。

 

ガーリックトースト、山ほどの生ハム、ペコリーノチーズ、サラミ、オリーブなどの前菜。

卵で作ったパスタにあっさりとしたトマトソースのプリモピアット。

ペコリーノチーズをたくさんかけていただきました。

もうひとつプリモが続きます。

これこそここの名物豆と乱切りパスタのスープ。

そして腸詰と鶏と子羊と豚肉の炭火焼がセコンドピアット。

コントルノ=付け合せの野菜は大きなボールに一杯の新鮮な野菜サラダ。

お肉は残りましたが、まみるさんのご主人がこのサラダを平らげました。

そして、ワインとアニスの入ったちいさなドーナツ型のクッキー

エスプレッソコーヒー

グラッパとリモンチェッロ

1リットルの赤ワイン

2リットルのおいしいお水

以上を2時間ほどかけてゆっくりといただきました。しあわせ幸せ。

 

3時にはお城の見学がはじまるので、日本人のわれわれはちょうどにその前で待っていましたが、なかなか開きそうにありません。

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やっとガイドさんがやってきて、いざと思いきやまだまだお待ちくださいとのこと。

 

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われわれがせっかちなのかむこうがのんびりなのか・・・

とにかくやっと見学が始まりました。

以前ガイドつきで見学したときにはパオロがいたので、説明もそんなに注意深くは聞いていませんでしたが、

今日はパオロ抜きなので、一言も漏らさぬように聞き、皆様にお伝えしました。

この城は今でも城主が住まいに使っているというのも今日では珍しいことです。

また、法王庁に対する犯罪者の牢獄として使われていましたが、もうひとつ、この城にはやりきれない悲劇が起こり、今も亡霊がでるといわれているのです。

それは、何代目かの城主の時代に、確か5人の姉妹達の後に男児が誕生したのです。

当時の習わしとして財産は全てその男児が受け継ぎます。

そこで、わずか3才の時に姉達の手によってその男児は毒殺されてしまったのです。

それを知った母親は、嘆き悲しみ、そのこの遺体をミイラにして洋服ダンスの中に安置しました。

今もその遺体はそのままそこにあり、彼が身につけていた洋服と共に収まっています。

また母親は城の中にある肖像画をみんな喪服に描きなおさせたということです。

そして、今も母親はその子に会いにやってくるのだそうです。

この後の数枚の写真はお城の屋上にある庭園です。

小高いこの街のさらにお城のお気丈に土を持ち上げるのに何年もかかっています。
今ではこの辺りでは最も古い杉の木の残っている場所になっています。

 

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ここからわれわれは山の奥の修道院へと移動しました。

P1010023 トゥリスルティ修道院。

山深い中にあって、かつては自給自足の生活をなさっていたのです。

また、山で取れる薬草で薬を作っていたので、その薬局が今も残っています。

庭の手入れも行き届いていて、中にはこっけいな刈り込みをした植え込みもありました。

 

売店ではここで作られた薬用酒や、ローマの同系統の修道院で作ったチョコレートを販売しています。

ここでも皆さんのお土産が充実してきました。

私はといえば、せっせと薬用酒を買い込みました。(笑)

日本のお坊さんも般若湯といってお酒をたしなみ、修道士さんたちも薬用ということでやはりお酒を召し上がったかと思うとおかしいですね。

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修道院の内部 (薬局)

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修道院の遠景

 

この後少し大型のスーパーマーケットへ行き、皆さんは帰国後に思いをはせてたくさんのお土産を買っておられました。

私はといえば、昼食がヘビーだったので、普段から小食の皆さんに、今夜またどこかのレストランでの夕食はちょっと大変だろうと思い、我が家で簡単なものを食べていただくことにしたのでそのためのものを少し買いました。

アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノのパスタとスモークサーモンやリコッタチーズなどの盛り合わせです。

 

普段、私は誰にも台所には入ってもらわないのですが、なぜかこの日は気軽にまみるさんたちに手伝ってもらってスムーズに準備が整いました。

いつもきつい冗談が飛び出すまみるさんのご主人に褒めてもらって心底うれしかった私です。

できれば夜明けまででも飲んだりだべったりしたいところですが、あまり若くもない私たち、しかも明日はポンペイの遺跡を巡るという観光の意味でのハイライトが待っています。

適当なところで切り上げ、皆さんの滞在するLa Pace=ラ・パーチェへお送りしました。

 

第1回イタリアオフ会  その1

2年ほど前まで、「オフ会」ということの意味も知らなかった私。

そしてその意味を知ってからも、地球の反対側で暮らす身にはまるで関係のない話だと思っていた。

時折、イタリア在住の方やツアーで近くにいらした方とお会いしたことはあるけれど、「イタリアからボンジョルノ!」 の正式なオフ会というものを今月21日から24日まで持つことができて、こんなにうれしいことはない。

 

イタリアに恋をした方がいて、その方の提唱にいつもうちの掲示板でおしゃべりをする仲間のお二人がすぐに賛同してくださって、話はほんとうに現実へと向かっていった。

 

ふつう、友達づきあいを始める年頃に引越しや転校を繰り返したせいか、私には幼馴染もいなければ、学校卒業後も付き合っていた親友と呼べる友も一人しか居なかった。

しかもその親友と大喧嘩をして何年も音信普通だったのである。

 

また、私は両親との3人家族で育った。

両親共に、その両親たちとはすでに死に別れていたので、わたしは祖父母というものを知らない。

そして私は一人っ子。

つまり、私をこの世で愛してくれたのはたったの二人だけ。

もしも祖父母が居て、2,3人の兄弟がいれば、それだけで10人近い人が私を愛してくれただろうに。

もちろん両親の愛は大きく、深く、強かったけれど、祖父母の感触を、兄弟愛というものを、わたしは想像するほかはない。

 

ところが、地球の反対側から私に会いに来てやろうという方たちがいた。

もちろん私の住むイタリアという国の魅力もあるだろうが、うぬぼれ屋の私には、皆さんが先ず私に会うことを第一に考えてくださったのではないかと思う。

それがうれしい。

 

めんどくさがり屋の私は、友達づきあいもつい怠りがちになるくらいだけれど、今回はべったりとご一緒して、少しでもローマを好きになってもらいたいと努力した。

昔はそれを生業にしていたのだが、やはり10年のブランクは大きい。

何よりも、私は観光バスに乗ってガイドをしていたので、今回、自分の車でローマの混雑の中を、進入禁止や一方通行の多いところを走るだけで疲れてしまった。

 

もしも専用車を使って観光していたらもっと気楽に楽しく時間的にも有効にやれたかもしれないと思うと少し後悔が残る。

その専用車を主人が生業としている事が妙に引っかかって、なるべく自分の車で済ませたかったのだ。

私に会いに来てくれる方々が、そんなことを気にするなんて思っていた私がばかだったと今頃思っている。

 

さて、先ずは到着の日。

すでに写真で顔を知っていたので、到着口から出ていらした時にすぐに気がついた。

報告を書くために出てこられた瞬間から写真を撮ろうと待ち構えていたけれど、片手でシャッターを押し、もう片方のてで「ここだよ」と合図をしていたので、写真はもちろんピンぼけ。(笑)

出会い
 

カメラをしまって、抱き合ったとたんに熱いものがこみ上げてきて・・・

 

空港から今回皆さんが滞在なさるホテルのある街まで、1時間半ほどの距離。

陽気なカティアという女性の運転手さんも交えてにぎやかにホテルに着いた。

 

チェックインのあと、機内で食べ過ぎて食欲のない皆さんだったが、やはりここは乾杯をしないとね。

今回の参加者はYukoさん、hitomiさん、まみるさんご夫妻。の計4名。

時差や長い飛行でお疲れのまみるさんご夫妻は早々に引き上げ、ついでhitomiさんも部屋へ。

自分はイタリア人だというYukoさんは、時差などどこ吹く風、放っておけばきっと夜明けまで飲んでしゃべっていたことだろう。(笑)

 

翌朝、9時に約束をしていたのに、息子の体調が悪く30分遅れでホテルに着き、先ずは滞在しておられる町をさらっとご案内。

紀元前10世紀からの街にはローマ時代の貯水槽の跡や、キリスト教以前の神社の土台が残リ、その上に教会が建っている。

 

そこからまずは大きな湖のある街カステルガンドルフォへ。

そこは教皇の夏の住まいがあることで有名。

湖をバックに写真を撮ろうとしたら「とってあげましょう」と言う日本語が聞こえた。

なんとアメリカからの旅行客だったが、父子共に日本語が上手で驚いた。

 

そのあと早速ジェラートをほおばり、教皇の一般謁見がある広場を散策し、次なる目的地ローマへ。

ローマから南へ延びる街道は有名なアッピア街道。

今は新しいのがついているが、平衡してアッピアアンティーカ(アッピア旧街道)がある。

今は住民以外の車の乗り入れは禁止になっているが、われわれが写真を撮っている間に、数台かの車が行き来して、2000数百年前の道が今も現役だとわかってもらえたようだ。

 

これまでにも何度か言ったと思うけれど、ローマの素晴らしさはそこにある。

3000年近い歴史を誇るという街であるだけではなく、その間いつも首都として歴史が途切れることなく続いているということ。

それが政治だけでなく、美術や宗教の首都であったということも含めて。

 

そのあとは昼食をはさんでいよいよヴァティカン市国にある世界最大の教会、サンピエトロ寺院へ。

キリスト教の教会は普通教会と呼ぶけれど、大昔のバジリカ(裁判所)と同じような建築様式で立てられた大規模な教会は今もバジリカと呼ばれ、訳すさいには寺院と訳している。

 

サンピエトロ寺院もテロ行為に備えて警備が厳しく、手荷物はもちろん人も空港にあるような探知機の下をくぐってやっと入っていける。

かつて、かのベルニーニの手による素晴らしい正面階段をゆっくりと上って教会へ入っていったものだが、いまやそういうのは夢のまた夢。

 

でも、教会のなかはたくさんの人で混雑はしているものの、ちょっと心を澄ませるとミケランジェロのピエタ像が、ベルニーニの天蓋やカテドラ・ペトリが、おびただしい数のモザイク画が、それぞれに何かを語りかけてくる。

 

かつては、この壮大な教会を、広場も含めてわずかこ1時間で紹介しなければならず いつもジレンマを感じていたけれど、今日はゆっくりと心行くまで説明できてうれしかった。

一部、入っていけないところがあったのは残念だったが、ご時世だから仕方がない。

 

そのあとはベネト通りでお茶をということになり、車を走らせたのはいいけれど、ちょうどラッシュにぶつかって、遅々としてすすまない。

そこで少しでも早くと思い、ボルゲーゼ公園の地下にある駐車場へ車を入れたのはいいけれど、初めてのところでトンと要領が分からずあたふたして皆さんにご心配をかけた。

 

そこからローマには珍しい地下のアーケードを通ってベネト通りへ出た。

ローマで最も優雅な通りといわれるベネト通りを、もっと優雅にゆっくりと散歩すればいいものをどうも私はせっかちで、さらに人を歩かせることが気になってしょうがない。

そこで、すぐそばのBarに入って飲み物を買い、自分はさっさと車を取りに駐車場へと戻っていった。

 

そのBarは、ベネト通りの表通りではなく、横道にある昔ながらのBarで、優雅さはない代わりに値段も庶民的で、しかもわれわれは飲み物を買っただけなのに、いす席に座ることをOKしてくれた。

普通こちらのBarでは立ち飲み料金と座って飲む料金とには数倍の差があって、座ったときにはそこへ注文をとりに着てくれ、運んでくれるサービス料や席料が入るものだが、外国人と分かって、おかみさんが鷹揚に対処してくれたのだった。

それでも、次回は少々高くても、ベネトの表通りで素敵なウエイターにサービスをしてもらって優雅な気分に浸っていただこうと思っている。

 

それにしてもローマの一方通行や進入禁止はどんどん広がり、目の前へ行くにも大きく遠回りを余儀なくされる。

そういうことにつかれてしまったので、この日はこれで見学をやめにして、残りの観光地はまたの日にということにした。

この日の写真が一枚もないのは、日本から持ってきてもらったカメラを持って出たのはいいのだけれど、前日に電池の充電をしていて、その電池を入れ忘れてきたからなのだ。

ああ、なんてこと。

マンマ・ミーア!