時代小説作家、北沢 秋さんをご存知ですよね?
幸運なことに仲良くしていただいているので以前もご紹介しましたがまた新作が発表になりました。
「ふたり天下」といいます。
戦国時代末期、天下分け目の関ヶ原の合戦後から話は始まります。
北沢さんの作品に出てくる人たちはなぜこんなに小気味いいのかといつも思います。
今回は女性の出番が極めて少ないのですが、登場する女性はやはりいつものように可愛くて頭が良くて機転が利いて度胸があって・・・とても魅力的です。
男性陣はもう惚れ惚れするような豪傑揃い。
豪傑とは体躯のことではなくその生き方です。
もちろん体格のいい人はその武道で、小柄な方はその頭脳で
人生を生き抜く、何かに賭けてみる。
勇気を振り絞り大きなものに向かってゆく・・・
引け時には潔く引く。
現代の特にイタリアの政治家たちに彼らの爪の垢でも煎じて飲ませたいですよ。^^
正直言って今回はさきの「合戦屋シリース」(第一作「哄う合戦屋」第二作l「奔る合戦屋上巻・下巻」「翔る合戦屋」)よりも読んでいて難しかったと思います。
実名の人物を配したのでより慎重にという作家の思い入れもあるのでしょう。
下調べに膨大な時間を要したとおっしゃっていました。
そして、時代的にも本当に難しい(ややこしい?)時期ですものね。
ネタバレしてはいけないので中身には踏み込みませんが夢のあるお話でした。
好評でファンレターがいっぱい来ているようです。
どうぞ皆様も一読なさってみてください。
アマゾンで購入できますし(中古品もあり)、各図書館にもすでに配置されています。
そして
この作品とはまったく雰囲気の違う青春ものの小説「吉祥寺物語」(木漏れ日の夏)
こちらは北沢さんが学生時代から書き始めたもので、当時(昭和らしかった頃)の様子が事細かに表現されていますし、若者の内面をこれでもかと言うほど根気良く書き綴られています。
爽やかな、やはり小気味よい若者たちが繰り広げる日常生活にきっとうなずき、微笑みながら読み進まれることでしょう。
北沢さんは、デビューから三作は双葉文庫の出版だったのですがこの「吉祥寺物語」から河出書房新社になっています。なぜなら(こんな裏話をしてもいいのかなぁ?)この本の出版に関して双葉文庫と意見が一致しなかったから。一時は自費出版も考えておられました。そういう気骨のあるところが時代物などにも現れている気がします。
参考までに合戦屋シリーズも紹介しておきますね。
奔る合戦屋は上下二冊になっています。
すでに文庫本にもなっているし、中古本もあるので読み易いものを選んでください。
どの作品にももちろん裏切りや死や失態や悲しい事柄もでてきますが、読み終えると何か爽やかな印象が残ります。
もう一つ裏話?^^
大ヒットしたデビュー作「哄う合戦屋」元の名は「花の散る峠」
「吉祥寺物語」の元の名は「木漏れ日の夏」
ロマンチックでしょう?
北沢さんの作品には四季に応じた花の紹介がたくさん出てきます。男たち中心の話の中に潤いと華やかさを添えているわけですが、北沢さんご自身が花の好きなロマンチックな方なのだと思います。
お手製クッキー
前回の投稿でご紹介した髪の短い奥様、
エレオノーラさんといいますが、今日Paoloにクッキーを持たせてくれました。
ローマの少し西の郊外にお住まいなので普段余り会うことはありませんが、ご主人に託して時々届けてくれるのです。
少しナッツが入っていてその美味しいことと言ったら!ダイエット中の私も思わず2つをぺろり。
今回はblogに載せるよと言ったらStrudelも作ったよと写真を送ってくれました。
もちろん写真だけじゃなくて後日実物を届けてくれると約束してくれました。
「そう言ってくれると思ってたんだ。」と言ったら喜んでくれました。^^
私っも時々バタークッキーを作ったりしますがとても人様に差し上げられるようなものじゃないのでお礼にはこのあたり以南でしか味わえないモッツァレッラ・ディ・ブッファラをお届けするのです。
ちなみにイタリア語ではクッキーもビスケットもBiscotti(ビスコッティ)です。
今年も勢揃い
毎年Paoloの会社の面々がSegniの美味しいオリーブ油を買いがてら昼食をともにするという集まりが今年で4回目を迎えました。
場所はいつもわが町セーニで一番と評判のLa Paceというホテルのレストラン。
会社の面々だけでなく、コラボしてくださるガイドさんや運転手さん達またそのご家族たちを交えて今年は総勢30名近くになりました。
最初の年はメンバーとその相棒たちだけだったので確か8,9名でした。楕円形の丸テーブル一つで十分だったのに今年は・・・
ここに着席する前にホテルのサローネと言いましょうか、グランドピアノを置いてあるところでアペリティーボ、(=食前酒)プラス前菜。
素敵な空間だったのにに写真を撮ることをすっかり忘れていました。(汗)
飲み物はプロセッコ(イタリア製シャンペン)やフルーツジュース。
前菜のメニューは
- 数種類のミニブルスケッタ(=クロスティーニ)
- 猟師風のサラミ
- モローロという町のドーナツ型チーズ
- ズッキーニの花の天ぷら
- サルビアの葉っぱの天ぷら
- その他数種の野菜の天ぷら
- いろんな詰め物のピアディーナ
- モッツァレッラチーズ
- パキーノという名のミニトマト
- 一口大のパルミジャーノレッジャーノ
- 生ハムを巻いたゴマ入り手作りグリッシーニ
多くのメンバーはここですでにお皿に山盛りのいろんな前菜を召し上がっておられました。土曜日とあって、他にも幾つかのグループが入っていてサービスの開始が遅くてお腹が空いていたようです。
今までは私のゴルフの都合(うちのゴルフ場が休みの日)と伝統的にイタリアでは火曜と金曜に魚を食べるので、魚好きが多いので毎回火曜日に催していたのですが、今回は土曜日に設定したので混み合っていました。
さて、席についてまず運ばれてきたのは細めのフェットチーネ(タリオリーニ)に地元で採れる松露(タルトゥーフォ)のパスタ。
まだこの時も写真を撮ることに気づかず・・・
二皿目もパスタで、(やっとスマホを取り出しました。)

カルチョーフィーとモローロのチーズが入ったラビオリ(または大きめのアニョロッティ)。
メインのセコンドピアットは

まず数日前に捕獲したという若いチンギアーレ(イノシシ)の チェザネーゼワイン(赤)での煮込み。
フォークを刺すと崩れてしまうほど柔らかでお代りしたいほどでした。

同じくセコンドに子羊の天火焼き。これもかなり美味しかったのですが先のチンギアーレが美味しすぎて・・・(笑)
そして後ろに写っているポテトとチコリのソテー。
料理の合間に喫煙家達は外へタバコを吸いに行きます。
残っている人たちもとにかくイタリア人たちはお話が上手なのでどんどんおしゃべりをして笑って、次の料理が来る頃にはまたお腹が空いている状態です。(笑)

今年は初めて息子も参加しました。丁度彼がアムスに行った年からこの会は続いているわけです。^^
大きな事故にあった息子がこうして参加出来て嬉しいことです。まだあまり長くテーブルについていることは好ましくありませんが年に一度のことだし、父親としては彼抜きでは考えられなかったでしょう。

彼女たちは同僚の奥さんたちとお嬢さん。髪の毛を白く染めたお嬢さんは大の日本ファンでこの夏隣りに座っている母親と二人で訪日してなんと!!!

こんなに素敵に変身してきました。^^
髪の毛の短い奥さんはクッキー作りがお得意で時々頂戴するのです。

昨年は乳母車の中にいたマッテオくんも今年はちょこまかと動き回り目が離せません。お母さんとお父さんと交代で追っかけっ子。
そのマッテオくんのいとこ、

彼もお母さんがロシア人ということですごい金髪ですね。
なんと8歳で彼のクラス(年代)ではサーフィンでイタリア第2位だそうです。
サーフィンを始めてから風邪をひかなくなったそうで、真冬もしっかり練習だそうです。
追記:(11月19日)重要なメンバーの写真が抜けていたのでPaoloのと共に追加しますね。

左から順にPaolo,Max,Fabirizio (まるたさん)Vic.

同じく左からFabio, まるたさん、代表者のRobertino.
さて、いよいよデザートです。

私は毎年モンテビアンコ、はいモンブランのことです。
Segniは栗で有名な街だし、この時期ですから。
しかも毎年少しずつ違っているところが憎いです。今年はオレンジがちょっと場違いでしたが。(笑)

前に座っている方が食べようとするのを静止して慌てて撮ったのでちょっと汚いですが、ミッレフォーリエと言うもの。パイ生地にカスタードクリームがたっぷり。
最後に

パンナコッタ。ここにもオレンジが・・・(笑)

やっと終わって外に出たらすでに明かりがついていました。まだ午後4時をちょっと過ぎただけなのですが。
数日間強風が吹いたので大きな日傘?が倒れています。

このホテルとも長い付き合いですが少しづつおしゃれになってきています。

今年はオリーブの実が少なくてオイルも去年より高めでしたがここのは修景用ですね。
1歳半から70歳近くまで様々な年代の集まりも終わり、来年の再会を約束してそれぞれが帰途につきました。
あー、食べすぎたぁ。
でこぼこな一日
ゴルフ仲間のガブリエッラとそのお孫さんと一緒にサバウディアという海水浴場へ行ってきました。
お孫さんは友人の海の家に招待されていたのでそちらに送り届けたあとガブリエッラと私はすでに行ったことのある海水浴場へ。ここは駐車場があるので好きなのです。
暑いところを駐車するスペースを探してウロウロするのも嫌だし、海辺の駐車場は簡易駐車場で1時間いくらのチケットを自動券売機で買って車内に表示しておかなくてはなりませんが、時間を気にするのも嫌だし、コインが足りない時もあるので1時間でも何時間でも一日10ユーロというこの場所が気に入っています。
大ぶりのビーチパラソルとビーチベッド?っていうのかな、を二人で借りて24ユーロ。
Barはいささか高いけれどせいぜいアイスを食べたりコーヒーを呑んだりする程度だから許容範囲と言えるでしょう。
ガブリも私もダイエット中だしね。(笑)
前回は時間も短かったし、お天気もイマイチでちっとも日焼けしなかったけれど、今回はそこそこイセエビ状態になりました。^^;
彼女とは割と気が合うというか話をしなくても居心地の悪さを感じないのですっかりくつろぐことが出来ました。
夕方6時頃にお孫さんを拾って帰途についたのですが・・・
途中で車の変調に気が付きました。
スピードを上げると変な音がするのです。
でも、また何事もなかったように走り続けているのでしばらくそのまま走っていたらまた同じ音がして、ふとバックミラーを見たら黒い煙が!
これはいけないと思って丁度差し掛かったガソリンスタンドの端っこに車を止めました。
ガブリがすぐにガソリンスタンドのお兄ちゃんに助けを求めたところ、多少は車に知識があるようで私の車はイギリス製なのでボンネットを開ける取っ手が右側についているのですが、すぐにそれを開けたのでちょっぴり信頼して言われるがままにアクセルを踏み込んだところもうもうと煙が上がって止めようにも止まらなくなって驚きました。
彼が運転席に乗り込んでどうやら止めてくれましたがこれで故障は決定的になった模様。
そして、すぐそばに知り合いの修理工場があるから車はそこにおいて私達3人は友人が送ってくれるからという段取りを付けてくれましたが何しろ家からは随分と遠いところなのでそこに車を置いて行く気にはならずイタリア自動車協会ACIに入っているのでそこに助けを求めました。
ところが、なんとその協会の派遣するレッカー車は20キロ以内までなら無料だけれど・・・というのです。
ではそれ以上の距離分を支払うからといっても、家までは送ってもらえず一番近いと思われるセンターに車を届けるというではありませんか!
今いる場所よりは格段に家に近いとはいえやはり中途半端なところに持って行かれてはあとが大変です。その場所から家までの送り届けも保証はないとのこと。
そこでいつもお世話になっているタイヤ屋さん件修理工場件車検場のオーナーの友人に電話を入れたら早速知り合いのレッカー車を差し向けるからということで1時間以上かかるとはいえ家まで帰れるというのでお願いしました。持つべきものは友達ですね。
そのガソリンスタンドにはBarがあったのでガブリとお孫さんと3人でポテトチップスを食べたりおしゃべりをしたりしてガブりのご主人が来るのを待ちました。
私は自分の車のことだからいいとしても10歳のお孫さんには少しでも早く家に帰ってもらいたいのでガブリのご主人にお願いしたのでした。
彼らが行ってしまってからさらに40分ほどたったでしょうか、やっとレッカー車が見えた時には本当にホッとしました。
体格のいい若いお兄ちゃんに「あなたが天使に見えるわ。」といったものです。(笑)
そして生まれて初めてレッカー車に乗ることができてちょっと嬉しかったりして・・・(恥)
なかなか感じのいいお兄ちゃんで話も弾んで修理工場についた時にはすっかり日が暮れていましたが心細い思いをすることもなく、すでにシャッターの閉まっている修理工場の前に車を下ろしていたらその工場の若者が二人、直ぐ側のピッツェリアでピッツァを食べていたらよく知っているレッカー車が自分たちの工場の方へ行くので見に来てくれたのでした。
ですからその場で鍵を渡すことが出来てこれもラッキーでした。
彼らが行ったあと10分ぐらい経ったでしょうかローマからスクーターで帰ってきたPaoloが私を拾いに来てくれました。
海からの帰りなので私はアッパッパーのようなものを着ていましたがすでに日はとっぷりと暮れていて足をむき出しにしていても誰の目に留まるでもなく程なく家につきました。
やれやれ
ゆったりと寛いだと思ったら焦りまくりの帰途・・・
何が起こるかわかりませんね。
翌日、ガブリがお孫さんの言葉を伝えてくれました。
「Keikoのせいじゃないんだもの、Keikoが謝ることなんかないんだよ。」って。^^
ガブりが自分の車で行こうといったのになんとなく自分で運転したくて私の車で行ったのですごく責任を感じていたのでした。
ほっ。
再会
私はあまりFacebooknoファンではないのですが、事実、一度完全に脱会したのですが友人の応援のためにまた再加入しました。
ま、知り合いの誕生日を知らせてくれるところがありがたいかなと思っていますが、ログインしてもなにがなんだかわからない状態です。(汗)
でも、そのFacebookで息子が5~6歳の時にまる1年間お世話になったポーランド人のベビーシッターとコンタクトが取れました。
彼女、「6月にローマに行くから会いたいわ。」と言っていたので当然ながら「来たら連絡くださいね。」と答えておいたのが3月頃だったでしょうか?
土曜日に彼女から電話が入ったとPaoloがWhatsAppで知らせてくれて・・・
「でも、イタリア語は忘れちゃってるよ。」とのことでしたが、英語とのミックスでなんとかなるだろうと昨夜月曜日に再会の運びとなりました。
私は30年前ののどかなローマを知っているので(それ以前のローマを知っている方にはあの頃でさえすでにのどかではなかったかもしれませんが・笑)
今のカオスそのもののローマにはまったく行く気になれないのですが、20年ぶりに丸一年も同じ屋根の下で暮らした友人が来るのでは出かけて行かなくてはね。
モハメッドが山を呼び寄せたというけれど、それに近い感じかしら?(笑)
私はPaoloの旅行会社の駐車場(ボルゲーゼ公園地下)まで自分で運転していって、そこからは6人乗りのゴルフカートで彼女たちが泊まっているB&Bのあるサン・ピエトロ寺院の裏側、なんと奇遇にも故姑たちが暮らしていたアパートの後ろ側まで迎えに行きました。
ご主人と17歳の息子さんと3人ですでに表で待っていてくれました。
なんと!彼女はまったく変わっていませんでした。
我が家にいた頃は19歳で、当然ながら恥ずかしがり屋さんで言葉少なな超真面目なお嬢さんでしたが今や幸せな主婦であり母となった彼女は終始声高に笑っていました。
12年前からアイルランドに住んでいるそうで英語は皆さん達者で、Paoloとはコミュニケーションに問題はありませんが私は込み入ってくるとついていけないので時々私を心配して覚えている限りのイタリア語で説明してくれたりして繊細さはあの頃のままでした。
今思えば遠く家族と離れて見知らぬ土地でまったく知らない他人たちと暮らすというのはたとえ別の階に彼女専用のアパートがあったにしても19歳のお嬢さんには厳しいものがあったことでしょう。
一度スクールバスの乗り場に連れて行くのに送れてしまって小さな息子に悪態をつかれて泣きべそをかいていた時に「息子はあなたのことが大好きなのよ。」と言ったら「そうかしら?」と言いながら機嫌を直してくれたことがありました。^^
どこへ行くのも一緒、彼女を一人残してでかけたことは一度もありませんでした。
彼女自身のバカンスでポーランドに帰る彼女を遠距離バスの発着するティブルティーナ駅まで送り迎えしたのもまるで昨日のことのようです。
決して無駄遣いをしなかった彼女が一度だけ私のために誕生日のケーキを買ってくれました。
あの頃はPaoloも私も仕事が忙しくて、Paoloはもしかしたら遠出をしていたのかその席にはいませんでしたが仕事から帰った私に息子と二人で誕生日を祝ってくれたのです。
そのケーキにはその頃出回り始めた吹き消しても吹き消してもすぐに再点火するローソクが立っていて頬を膨らませて吹き消す私の姿に彼女と息子が笑い転げていましたっけ。
その話を昨夜もしてみたところ(私の誕生日を祝うという)「アイデアは自分のものだったのか息子のものだったのかは思い出せないけれど」と言いながら彼女も懐かしく思い出していたようでした。
夕食の前にまずジャニコロの丘から夕陽が沈むのを見に行きましょうと登っていった時には空が最高の色合いだったのにPaoloが反対側に見えるローマのいろいろな建物の説明をしているうちに陽はすっかり沈んでしまったのでした。(笑)
その丘の下にローマらしいレストランがあるので行ってみたらなんと定休日、うっかりしていました。
でも、明かりのついたローマを人が歩くほどの速さで静かに動くゴルフカートでの散策は飽きることもなくなんと2時間ほどがあっという間に過ぎてしまい、私は17歳の青年のお腹が心配でどこでもいから早く食べに行こうと促しました。
ナボナ広場の近くにアメリカンレストランがあってそこに落ち着くことになりました。
何もローマでアメリカンレストランに入らなくても・・・と思ったのですが彼女たちがそれでいいというのだから私も黙って従いました。The Perfect Bun
が、入ってみるととても素敵な空間で直ぐに気に入りました。(笑)
スタッフたち全員が英語ができて(その割に英語のメニューはなかった)運ばれてきた料理もとても美味しかったので花まる。
若い青年にはそのボリュームも嬉しかったことでしょう。私はクラブサンドイッチを2/3位食べましたがその後かなり尾を引きました。
そこを出て、またまた裏道にある新鮮な果物やナッツなどを使った純正の?ジェラート屋さんに。Gelateria del Teatro(Via dei Coronari, 65-66, 00186 Roma)
着いたら若い団体さんの長い行列、でもそこはPaoloの馴染みの店ですから・・・(笑)
メロンとアルビコッカとスイカのジェラートをとったらなんとアルビコッカの酸っぱいこと!すなわち本当に新鮮な材料を使っているというのを再確認しました。酸っぱいからいいと言っているのではなく、人工の甘味料などを使っていないという意味で。
すでに11時を回っていたのでゴルフカートをB&Bの方へ向けました。
もしもイタリアンレストランで食事をとっていたらまだまだレストランで次のピアットを待っていたことでしょう。そういう意味でもアメリカンにしたのは正解でした。
それにつけても夜のローマは素敵です。
横道からすっと出てきたら目の前にサンタンジェロ城が!
町にはロマンチックな古の街を謳歌する人たちがまだまだたくさんそぞろ歩いていました。
B&Bに着いて、いよいよお別れです。
カティアとはひしと抱き合って「幸せそうね。」と言うとこっくりと頷いていました。
嬉しいことです。
生活のために家族から遠く離れて暮らさなければならなかった彼女、どうしても踏ん切りがつかなかった時に小さな息子が「カティアが来てくれなかったら僕は一人で家にいなきゃならないんだよ。」と頼んだ時に彼女の気持ちは決まったようでした。