La vita è bella

La vita è bella=人生は美しい

心の底からそう思えることが昨夜起こりました。

 

還暦を祝うという習慣もそんな言葉ももちろん存在しないイタリアですが、やはり60歳の誕生日というのをほかの年よりも幾分大切にしている感があり、Paoloの60歳の祝いにもたくさんの友人たちが駆けつけてくれたものでした。

その記憶がもちろんPaoloにもあって、私の60歳の誕生日もほかの年とは違った素晴らしいものにしようという考えていたようです。

でも、私は大勢の人たちを呼んでのパーティーには興味がありませんでした。

なぜならイタリア人たちはただ集まって食べておしゃべりをしておしまいなのです。

スピーチもなければ歌うでもないおしゃべりと言ってもテーブルが離れていれば出会った時の挨拶以外一言も言葉をかわさない人も出てくるような塩梅です。

せいぜい時々誰かが「◯◯さんにカンパ~イ。」等と言って杯を重ねるくらいなもので本当につまらないパーティーです。

私が裏方ならいろんなゲームを織り込んでの楽しい企画を立てますが自分の招かれるパーティ-ではそれも出来ず・・・

だからパーティーは無しよ。とPaoloに念を押しておきました。

それよりも、もしも許されるなら息子に会いにアムスへ行きたかったのですが、1月に日本へ行ったばかりで散財してしまったので言い出す勇気もなく悶々としていたのでした。(笑)

そうしているうちにPaoloが事故にあって・・・

私の誕生日のことなどどこかに飛んでしまった感がありました。それでかえって二人っきりで過ごせることを喜んでいたのです。

ここ数年の私の誕生日はというとPaoloの仕事が忙しい時期なので一人で夕食をとって、夜遅く帰ってくるPaoloを待っているというパターンでした。

それが一緒に夕食をとれるというだけで特別な気がしていたのです。

でも、Paoloはせめて外で食事をしようと誘ってくれました。

怪我の方も随分良くなって松葉杖無しでも平坦なところでは歩けるようになったことだし、私も快く承諾しました。

 

いつもなら、外食をするにしても行き先のレストランを決めるまでに随分と悩みます。

でも、昨夜は「どこに行くの?」と尋ねたら「La Pace!」と直ぐに返事が帰ってきました。
やれやれ行き先で揉めることがなくってよかった。と思いながら車を発車させると
「ちょっとそこのBarで食前酒を飲んでからうこう。タバコも買いたいし。」というので
そちらに寄って寒い中、外で食前酒を飲みながらPaoloがタバコを吸い終わるのを待ってやっと本来の目的地に向かいます。

着いたら丁度そこの女将さんと出くわし、「息子さんはどうしているの?」と訪ねてくれるので「アムスに行ったっきりなんですよ。でも元気にしています。」などと話しながらレストランの奥の方へ進み、女将さんが「ここの席はどう?あっちでもいいし・・・」

などというので席を見ながら振り返ってPaoloを探していると目の前に見たことのある顔が・・・

背のたかい青年が微笑みながらこっちを向いて立っています。

「?!」

「???!!!!!」

まさか!

いえ、そこにいるのはまさしく陽介でした。

なんということでしょう。アムスから私の誕生日を祝うために駆けつけてくれたのでした。

もちろん飛行機には列車に飛び乗るようなわけには行きません。

Paoloと二人で事前に打ち合わせをして仕事先に休暇をとって・・・

つまり父親と息子がここ数日間、私に内緒でこんな素晴らしいサプライズを用意してくれていたのでした。

もちろん泣きました。レストランの真ん中で。

嬉しくて涙が止まりませんでした。

抱き合って頬ずりをしてやっと席につきました。

もちろん席もすでに予約済みだったのですが、支配人が用意していたのでその妹に当たる女将さんは知らなかったようです。

-10月5日加筆ー

Barに立ち寄ったのにはこんな訳があったのです。つまり陽介が家に帰って自分の車をとってレストランに駆けつけること。家までは友人が送ってくれたのでした。だから我々と入れ違いくらいに陽介を乗せた車が家の前に着き、我々が食前酒を飲んでいる間に陽介は車で先にレストランについていなかればならなかったわけで、いつも時間に遅れる息子を相手にこんな綿密な計画を立てたPaoloはおそらく気が気ではなかったでしょう。

ー加筆終わりー

 

しばらくは嬉しさに言葉もなく、ただ息子の顔を見ては笑っていました。

息子にも私の気持ちが通じたようで恥ずかしがることなく私のしたいようにさせてくれていました。

<あかん、思い出してまた泣けてきた・(笑)>

スリーショット

前菜が運ばれてきたところで若いウエイターさんに頼んでシャッターを切ってもらいました。なかなか上手に撮ってくれてますよね。

どうしても息子の方にくっついていたのでPaoloが一言「素敵なカップルですねぇ。」(笑)

Paoloが選んだ前菜はカジキマグロの燻製にメロンの組み合わせ。今の時期なので黄色い皮の、中が白いメロンでした。一切れ奪いましたがとっても美味しかったです。

陽介はやはり美味しい生ハムに飢えていたようで生ハムとモッツァレッラ・デッラ・ブファラ(水牛乳のモッツァレッラチーズ)の盛り合わせと父親のを一切れ。^^

生ハム

その後のプリモ・ピアットはPaoloと陽介がスカンピ(手長エビ)風味のリゾット。私は四角いスパに甲殻類(かにとスカンピが入っていた)のソース。

みんな蟹や海老の掃除に忙しく写真は撮りわすれ。(笑)

どちらもいささかこってり味だったせいか完食できずセコンド・ピアットもパスしてデザートにすすむことにしました。

Paoloは自分の欲しいものを我々に言い残して外へタバコを吸いに行きました。

Paoloと息子は何だったか忘れましたが甘そうなデザートを、私はレモンシャーベットを注文して待っていると・・・

レモンシャーベットのみが運ばれてきました。

更に待つこと数分、Paoloも席に戻ったかと思うと時を同じくしてウエイターさんが運んできたのは・・・

ケーキ

キャッ、かわいいケーキ!チョコと森のくだもののシンプルで美味しそうなケーキ!

板チョコには「Auguri=おめでとう」の文字が。

そして金色の煙突状のものにPaoloが慎重にライターを近づけます。

点火

三人とも真剣な眼差し、ちょっと怖い気もして・・・(笑)

点火!

スリーショット2

きゃーーーー、すごーい!

今度はPaoloに近寄って、この間ウエイターさんが何枚もシャッターを切ってくれていました。^^

切り分けてもらって食べてみたら中にはチェリーのシロップ漬けも入っていて甘すぎずとってもおいしかったです。

3人で半分しか食べられず残ったのが悔しかったけれど持ち帰りを頼む勇気もなく帰ってきました。(笑)

 

なんと息子は2日前にこちらに来ていたそうです。で、仲の良い友人宅に泊まっていたそうなのです。やっぱり誕生日の当日に会ったほうが劇的ですもんね。

こんな素晴らしい演出をしてくれた二人に今更ながら愛されているんだなぁとつくづく思ったらまた涙が・・・(笑)

ベッドに入ってからも嬉しさに気持ちが高揚してなかなか寝付けませんでした。

これだから人間止められませんねぇ。^^

人生は素晴らしい!

Raduno Ferrari (フェラーリ愛好会)

日曜日、コンペに向かっていたらFerrariの列に出くわしました。

ferrari

こちらでは、(おそらく日本でも?)同じ車種を持った人々の同好会がよく行われます。

Fiuggiはローマから近いところにあって避暑地の様を呈しているので景色は良いし、美味しいレストランはたくさんあるしということでよくこういう催しがあります。

自転車のツール・ディ・イタリアやクラッシックカーのレースや、Fiat500のレース、や交換会など・・・つい先日もハーレイー・ダビッドソンのがあったばかり。

数台の車を追い越したら(まだ懲りていない・(笑)
目の前に最新型?のFerrari,もう追い越せませんよね?(笑)

準高速道路(スーパーストラーダ)で制限速度は90kmですが、時々はそれ以下の速度で走っていましたが何台も続くFerrariの間に割り込んではあまりにも無粋でしょ?

コンペの時間はあるもののここはおとなしくついていきました。
時々ブオオオオンという音がしたかと思うとまた行列状態。

我慢我慢。(笑)

いい子は写真撮りながら走っちゃいけませんよぉ。

 

静かなる革命?

日本でも報道されているかと思いますが、
24日イタリアで上院(Senato)下院(Camera)の総選挙が行われ、
なんと全く新しい党が大勝利を収めました。

政党という呼び名ももしかしたらふさわしくないかもしれない全く新しい動きです。

Movimento di Cinque Stelle 5つ星の動き と訳せましょうか。
このグループを率いるのは Beppe Grillo (ベッペ・グリッロ)という方で、
職業はコメディアンです。

Beppe_Grillo
Beppe_Grillo



でも、ここで日本の吉本系のコメディアンのイメージは払拭してください。
彼は私が来伊した85年にはすでに今風の話し方で、熱っぽく世評を風刺していました。
今、ざっと彼の履歴を見てみたら、1978年から日本のNHKに当たるイタリア国営放送で、
人気番組の司会を先輩とともにつとめ始めたそうです。

その国営放送に出演中(15/11/1986)に、社会党員は皆泥棒だと聞こえるようなコメントをしたということで
それ以来出演を禁止されその後は活動を舞台へ移すことになるのですが、
その生の舞台で、さらに民衆とのコンタクトが密になり、
彼の政治、世相への辛辣なコメントゆえに更なる人気を博すことになるのです。

テレビにはあまり顔を見せなくても知る人ぞ知るベッペ・グリッロでした。
コメディー風に世評や政治家たちを風刺するためには十分に勉強しなくてはなりません。
そうでなければ何十年も続かないはずです。

その彼の意見・意欲に賛同する友人たちとともに、2009年、この運動グループを立ち上げました。

すでに昨年の地方選挙ではこの5つ星の動きから4人が市長に当選し、
彼らが自転車で市庁舎に出勤するなどし、余分な経費の削減を体現しています。
また、シチリアでは同グループの市議会員たちが給与の70%を返上してそれで基金を作り、
中小企業の救済に当てています。

グリッロの主張はわかりやすく、我々庶民を惹きつけます。
今までの国会での質疑応答ではたとえば
-1999年の12月に制定された法令123の第3項の5条が改革され、
先月採決された第8条に変更になったことについてのご意見を伺います・・・とか何とか
テレビの国会中継を見ていても全く意味がわからない状態でした。
政治家ではなく政治屋がまるで俳優のように政治ごっこを演じていたという感じです。

政治屋と言いましたが、イタリアではどんな政党でも
どんなあほらしいスローガンを掲げたつまらない政党でも
一定の署名を集めた政党なら選挙費用として1億円が支給されるのです。
その選挙費用を5つ星の動きは拒否して自力でこれまで戦って来ました。
費用がないので、ポスターもなければ
他の政治屋と同じ舞台での演説を嫌って、一切テレビ番組での主張もなく、
ただひたすら「津波ツアー」と呼ばれるグリッロの街頭演説だけで運動を薦めて来ました。

先ず彼らの運動に注目したのはヨーロッパの他の国のメディアでした。
スイスやスエーデンの報道機関がグリッロにつきっきりで何ヶ月も取材をし、
グリッロの意図するところを世界中に報道し始めました。

イタリア国内のメディアといえば、相変わらずグリッロが首相になりたいのか、とか
左右どちらの陣営に属するつもりなのかとか、およそグリッロが考えもしないような質問ばかり。
しかも、集会を開くたびに、何十万という動員数があるにもかかわらず、
テレビの画面にはグリッロが顔を火照らせて、毒舌を振りまくというような画像ばかり。
その演説を聞いている何十万の人々の姿は一切報道されないままでした。
そのことをグリッロが集会で話をし、観衆たちがカメラマンにこっちも映すようにと叫び、
カメラが観衆に向けられた途端にテレビにはCMが流れたという逸話もあります。

グリッロは2000年からblogを運営し、イタリア国内で一番アクセス数の多いblogとなっています。
つまり、インターネットを最大限に活用して活動しているので
今度の選挙戦でも賛同者の一人がいつも彼に付随してすべてをLIVEで報道し続けました。
ですからグリッロの活動は今やイタリア国内だけの現象ではないのです。
ヨーロッパ中が彼の活動の行く末を見守っています。
そして一般市民に明るい希望をもたらしているのです。

MoVimento_5_Stelle_logo
MoVimento_5_Stelle_logo



今回の総選挙で、なんと 5つ星の動き は、全体の約30%の票を獲得しています。
今、イタリア国内で一番と二番の政治グループは、PDL中道右派とPD中道左派
極左や極右がないのなら中道といいう呼び方は意味が無いと思えるのですが、
イメージを重んじてか今も中道という言葉を必ず前につけています。(笑)

とにかくその中道左派と中道右派とが政権をずっとピンポンのごとく交代して遊んでいたわけです。
しかも彼らは連立です。
単一の政党としては上院・下院ともに 5つ星の動き が単独一位になりました!
イタリア国内で一番勢力のある政党、いえ、運動 になったのです!

現実問題としては左翼も右翼も連立して来るので5つ星の動きがすぐさま政権をとることはありませんが
与党にとって、ものすごく手強い野党であることははっきりしています。

地方選でも、イタリア全体の1/4にあたる6つの選挙区で勝利を治めています。

5つ星の動き の代表者たちに怖いものはありません。
彼らには守るべき地位も報酬もないからです。

昨日まで、教鞭をとっていたひとや、研究所に閉じこもっていたひと、
お店のキャッシャーをしていたひと、工場に務めていたひと、
小さな工場を営んでいたひと・・・・
こんな普通の人達が同じような境遇の人達の声を代弁するために議会へいくのです。

「一夜開けてて代議士になった感想は?」などインタビューされていた方が
「私は代議士ではありません。代弁者です。」と答えていました。


ご存知かどうか知りませんが、イタリアのごく一部の人達の報酬は信じられないくらい多額です。
警視総監の報酬がアメリカの大統領よりも多いと聞いて愕然としました。
2年半代議士を努めると一生涯月に何百万円という年金を受け取ることができるのです。
こんな有様だから、政治家ではなく政治屋が登場するのでしょう。

ECの中でも多額の負債を抱える国の一つになっているというのに
その辺りの制度を変えることが今までできないできました。
ベッルスコーニが議員の削減や報酬の削減を訴えていましたが、
プライベートな問題で追い出されてしまい、左翼系からはそんな声は全く聞こえて来ません。

左翼は庶民の見方というのは随分昔の話になってしまったようです。

労働組合は自分たちの務める会社の行く末を心配するのではなく、
今あるところからいかに搾取できるかということに頭を悩ませ、
仕事の出来ない同僚をかばうことや、終業時刻には即刻会社をあとにすることに専念しています。
終業時刻に仕事をやめて、それから手を洗い着替えをしてタイムカードを押すのではなく、
その時刻までに着替えを済ませ、出来ればコーヒーものんだあとで、
タイムカードのマシンの前で列を作って終業時刻がやってくるのを待っている
そんな会社を私自身が目撃しています。
その会社は・・・倒産しました。
それでは元も子もないでしょうに。

こんな間違った考えから脱却することもグリッロが訴えていることの一つ。

また、メイド・イン・イタリアと言いながら
例えば外国からオリーブオイルを輸入し、そこにイタリア産のオリーブオイルを
数パーセント混ぜて1リットルに就き1ユーロ高く輸出する。
もしくは安い値段で国内で販売するものだから国内の優良な質のオイルが非常に高く感じてしまう。

これはここ10年くらいの出来事で、私自身、急にエクストラ・バージンのオイルが安くなってびっくりしたものでした。


こういう細かな話をしていたは終わらないのでこれくらいにしますが、
ごく一般の庶民の気持ちを代弁してくれるグリッロ。
気の毒に今日も報道陣たちに取り巻かれ、まるで拷問のような質問攻めに合っていました。
何度も同じようなつまらない質問をし、彼の堪忍袋の尾が切れるのを待っているかのようでした。
今日のところは彼は本当に辛抱強く対応していましたが、テレビを見ながらハラハラしました。(笑)


5つ星の動き の勝利が確立して約一日が過ぎ、他の大きな政党の姿勢が早くも変わりつつあります。
先ず、当初は5つ星の動きを無視していたのに、今は彼らに理があると言い・・・
できるなら連立政権を持ちかけたいとも・・・

さて、どうなることでしょう。
政治というのも一種の職業なのだから素人には無理だという声もあります。
また、グリッロは誠実でも、要員が増えてくればグループの規律にそぐわないメンバーも出てくるかもしれません。
これからが本当に試練の時でしょう。
でも、もしも彼らの主張することが半分でも実現すれば「イタリアは生まれ変わることができるかもしれない」
という皆が諦めかけていた夢を持たせてくれています。

選挙戦の最終日、ローマのサン・ジョヴァンニ前の広場には約100万人近い人達が押し寄せました。
息子もその中の一人でした。




ああ、サマータイム

25日の日曜日からヨーロッパの国々ではサマータイムに入りました。
(アメリカでは1週間後の4月の第1日曜だそうです時差により開始時期も異なるそうです。)

ベンジャミン・フランクリンの提唱によって始まったこのサマータイム、
節電に大いに貢献するだけでなく、我々には精神的に大いなる喜びをもたらしてくれます。

日が長いというのは活動時間が増えるわけで、
なんだか寿命が伸びるような錯覚を起こします。(笑)
3月下旬の今の時期ですでに夜8時近くまで明るいのですから。

サマータイムの開始は3月の最後のの日曜日から(ヨーロッパの場合)。
今年はその日曜日が25日になったものだから、サマータイムへの突入も一番早い年となりました。

うちの息子などは年中自分の部屋の時計はサマータイムにしているほどで、
この時期を待ちに待っているのです。これから10月最後の日曜日まで、
大いに人生を楽しみますよぉ。

違う涙

震災の様子をテレビで見ていて、
崩れてゆく町が悲しくて、被災なさった方々が気の毒で
この先どうなるのだろうかと不安で・・・
遠くにいながらも泣けてしょうがありませんでした。


今も泣いています。
でも、それはうれしいから。
未曾有の災害に見舞われてしまった日本だけれど、
日本人の素晴らしさがこんな時にこんな形で世界中に知られるなんて。

日本人自身が、きっといままで思っても見なかったような正義感に満ち、
勇気と慈愛と寛容とにあふれる行為で自分たちを見直しているようです。

各自が自分にできることを一生懸命考えて、ともに戦っています。

そんな思いの詰まったメッセージをまとめてくれた人がいます。
もちろんこの方だけではないでしょうが、暖かな氷山(笑)の一角を皆様にも御紹介します。

素晴らしいエピソードばかりですが、特に心に残った話をひとつ。

「子供がお菓子を持ってレジに並んでいたけれど、順番が近くなり、
レジを見て考え込み、レジ横にあった募金箱を見てお金を入れて、
お菓子を元の棚に戻して出て行来ました。
店員さんがその子の背中に向けてかけた『ありがとうございます』という声が震えていました。」


少し長いので節電中の方には申し訳ありませんが。
また、割と早く流れていくのでポーズを使ってゆっくりとごらんください。