初雪

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昨日の朝です。

Campo Staffi そしてCampo Catino という我が家から一番近いスキー場あたりにご覧のように初雪を見ました。

このところ、少しバイオリズムの低下というかあまり楽しくないことが続いていたのでこの初雪の美しさと抜けるような青空に心も晴れました。

5日ぶりにラウンドして絶不調ながらも昨日はそこそこ楽しみました。

 

そしてきょう26日。

小雨の降る中をゴルフ場に向かいました。ドライビングレンジでの練習だけでもと思って。
着いてみると雨も止んで100球練習場で打ったあとコースにでました。

でも、コースはものすごい寒さで毛糸の帽子やダウンのベストを用意していたもののとてもプレーを楽しめる状況ではなく3ホールで切り上げました。

案の定、上に書いた両スキー場あたりには雪が降っているのが見えました。

明日は晴れるという予報ですが、イタリアに本格的な冬がやってぃたのは間違いありません。
これから4ヶ月はじっと我慢の子です。

はい、我慢して寒さに負けないでゴルフを続けるという意味です。(笑)

明日の気温は1~6度、別の天気予報では-1~8度とでています。

 

年に一度の・・・

21日土曜日、Paoloの同僚たちとの年に一度の集まりがありました。

日本でも社内旅行などがありますが、こちらでも取引先を招待しての食事会などが暮れになると開かれます。

My Best Tourも早いもので設立して5年になりました。もっとかな?(汗)

とにかくここ3年はやっと仕事の量が減って一息つける今頃にSegniというローマ県の南端のわが町に集まることになっています。

Paoloは社長じゃありません。4人の合資会社で4分の一の権利しかないのですが、しかも代表者はロベルトさんという方になっているのですが、なんといっても長老でほかの3人の父親役ということと、ローマの街に住む彼らにとってこの辺りののどかな風景や美味しい空気に触れることは何よりもの癒しにもなるので家族を伴ってやってきます。

プラス、よく我が社の仕事を手伝ってくださるガイドさんたちも招待しました。

まず、高速道路をおりてすぐのケーキ屋さんで待ち合わせ。可愛いでしょ?

イタリア人は甘いモノが大好きだから男性たちもこういうところによく出入りします。
私はあいにく出かける頃になって喘息の発作に見まわれ食欲もないのでコーヒーのみ。
皆はそれぞれ大きいのを頬張っていましたよぉ。

この季節、オリーブの収穫時期でわが町は採れたばかりのオリーブを大きな石臼で挽いて砕いてペースト状になったものをただ圧縮するだけという昔ながらの方法でオイルを作っている数少ない場所なのです。

macina

 

大きな石臼がゴロゴロという音と立てて回っています。

pesto

 

 

 

 

 

ボケててごめんなさい。

ペースト状のオリーブが出てきます。

分厚いフエルトのような台の上にペーストが乗り、それが何枚も積み増さなっていきます。

 

 

 

 

 

schiaccia

 

圧搾機。

表面をしぼりたてのオリーブオイルが滴り落ちています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

じつは・・・すべてムービーで撮ったのですが逆さまに構えていたリ、縦に構えて撮ったので再生できない状態でムービーからスナップショットを取って逆さにしてここにアップしたという情けない幕裏があったのです。(笑)(笑い事じゃない!)

 

とにかく、こうして出来たオイルは半透明のオイルです。オリーブの成分がみんなギュッと詰まっているのです。

最近は加熱して搾油したり、ろ過して細かな実のかけら(見えないほどの大きさ)などを取り除いてしまうところが多いようで、そうすると透き通った見た目には綺麗なオイルが出来上がりますが、みなさまはどちらを選ばれますか?

しかもここは安いのです。近隣の町よりもう~んと安く分けてくれます。

昨年は悪天候でオリーブの収穫量が極端に少なかったので少し上がりましたが、ことしはまた2年前の値段に戻った所が良いでしょう?一旦値上げしたらなかなか元には戻さないものですよね?

tutti

昨年は時間が遅すぎて作業が終わってしまっていたのでこの一連の作業の様子をみな興味深げに撮影していました。

PaoloはきっとMy Best Tourのサイトに掲載するつもりでしょう。
誰にとっても興味深い光景です。

ただ、我々だけでも数百リットルものお買い上げ。それだけの分量を缶に詰めるのを待つのは大変。しかもほかにもお客様方がお待ちです。

そこで我々は注文をしておいて先に昼食を取りに行くことにしました。きゃっほー!

でもまだ12時少し回ったところ。イタリアではそんな時間にレストランには入りません。
少なくても13時までは待たないとレストランの方々が食事中のところに出くわします。(笑)

そこでわが町をぐるっと回ることにしました。
ただあいにくの天候。11月はありがたいことにずっと暖かく晴天が続いていたのに昨日は予報通りの嵐になりました。

車で回るだけでもいいじゃないかとPaoloが先導して町の頂上へ。
着いた時には雨もほとんど降っていなかったので冷たい風の中を少し歩きましたが風雨が強くなってきたので女性陣は皆それぞれの車の中で待機。

男性陣は長老には逆らえずフードを被ったり襟を立てたりしながらついていきました。(笑)

レストランには予定通り13時に着きましたが駐車場はいっぱい。
土曜の昼間にしては珍しいことです。

後で聞いたら何やらキリスト教関係の昼食会があるとかで乳母車に乗った子どもたちもたくさんいました。

Matteo

はい、我々のテーブルにもひとり!Matteo(マッテオ)君10ヶ月。
この日一番の若者です。(またピンぼけだ)

famiglia

お父さんはPaoloの4分の1同僚(笑)、お母さんもロシア人でガイドさん。
Matteoはお母さんからキラキラの金髪を譲り受けたようです。

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もう一人で伝い歩きもしていましたよ。子供の成長はどんどん早くなりますね。
もう1世紀もすると生まれてすぐにしゃべりだすんじゃないかって話していたところです。(笑)

 

ここは山の上のレストランなのにいつも新鮮な魚介類がいただけます。

同僚たちもここのレストランのファンで、Segniにやってくるのはここでの昼食が主たる目的なのかもしれません。

アンティパストにはシーフードサラダ、主に小ぶりのイカと小エビ
タコのマリネ、みんなに大人気
生ハムとモッツァレッラ・ディ・ブファラの盛り合わせ
小魚や海老のフライの盛り合わせ

これらを取り分けてていただきました。
あ、もちろんそれぞれを2,3人分注文しましたよ。
今日は総勢15人+Matteo君ですから。^^

プリモは、スカンピのリゾット
オマール風味のニョッキ
きのこ入りラザーニャ
フェットゥチーネ・アル・ラグー

などを皆食べていたようです。
私はオマール風味のニョッキを食べました。
美味しかったけれど昨年誰かが注文した時にはオマールが半身ゴロンと乗っかっていたのに今回はぶつ切れで食べられそうもないのが2つほど乗っていただけでした。だから風味と書きました。(笑)

ほとんどがここでお腹いっぱい。

プリモを抜かした方々や胃袋にも年季の入っている方々がセコンドもオーダー
イカと海老のグリル
アバッキオ(羊の肉)のオーブン焼き

などを食べたおられましたが私はMatteo君と遊んで暇つぶし。

そう、Matteoくんに気を取られて食事の写真を取ることをころっと忘れておりました。

デザートはいただきますよぉ。^^

この町はクリが有名なのです。

ですから今の時期はデザートにもクリを使ったものが登場し、ロベルトの奥さんなどは出会った瞬間から「今年もモンブランを食べに来たのよぉ」と。^^

彼女と隣り合わせの席になったのでモンブラン(イタリア語ではモンテ・ビアンコ)と
栗のムースのマロングラッセ添えというのをとってシェアすることに。

モンブランは馬鹿でかいのです。
個人的にはムースのほうが好みでした。
そして、男性二人がレモンシャーベットを手にしたのを見てそれもオーダー。
これもまた美味しいこと。

数人がエスプレッソを飲んで4時半にお開き。(笑)

では注文しておいたオイルを取りに行きましょう。

すべて整っているかとおもいきや誰かが注文したよりも多めに購入したようで、それがはっきりするまで一悶着。小さなことを大きくするのが得意なイタリア人たちです。(笑)

で、少し待って足りない分の缶詰も終わってまたひとしきり激しくなった雨の中をSegniを後にしたのでした。

その場でお別れの挨拶はしたものの、またまた朝集合したケーキ屋さんに再集合。

小一時間まえにレストランを出たばかりなのに、しかもデザートをしっかり頂いたのにまたしてもここでケーキを食べる人がいてびっくり。(笑)

もう一度コーヒーを飲んだり食後酒を飲んで今度は本当にお別れ。

また来年もここでね、と約束をして。

 

 

 

 

 

あの頃 どうやって???

ある日友人からスマホに送られてきたメッセージです。

 

「どうやって生き抜いてきたんだろうね、50-60-70-80年代のこどもたち」

1.-子供の頃、車に乗ってもシートベルトもなければエアーバッグもなかった。

2.-トラックの荷台に乗ってどこかに行ったことがあるけれどあれは素晴らしい経験だった。

3.-我々のベッドは鉛入りの塗料で鮮やかな色に塗り込められていた。

4.-子供を保護するためのものは何もなかった。薬品の蓋もドアもトイレもコンセントも。

5.-自転車をこぐときにはヘルメットなんかかぶっていなかった。

6.-ミネラルウォーターやボトル入りのじゃなくて水道や庭の散水用のホースから水を飲んでいた。

7.-一つだけ守らなければならなかったのは日暮れにはうちに帰ること。携帯電話なんかなかった。つまり誰も我々を追跡できなかった。

8.-学校は正午までだった(ここは日本とは大いに違う)だから昼食は家で家族とともに食べた。お父さんもいた。

9.-切り傷や骨折や、歯も折れたけれど誰も責任者を訴えたりしなかった。だって誰のせいでもないこういう小さな事故はみんな本人のせいだったのだから。

10.-ビスケット、パンに塩とオリーブオイル、パンにバターをたっぷり塗って食べ、砂糖がいっぱい入った飲み物を飲んでいたけれど肥満児なんていなかった。誰もジムになんか通っていなかった。ただ、一生懸命遊んでいただけ。

11.-1本のボトルを何人かで分けて飲んでいたけれど誰も死ななかった。

12.-PlaystationもなければNintendo64もX boxもあらゆるビデオゲームもなかった。99ものチャンネルのあるテレビもなければパーソナルコンピュータもない、インターネットでアニメを見ることもなかった。
ただ・・・た~くさんの友だちがいた!

13.-外に出て自転車に乗って、あるいは友達の家まで歩いて行った。呼び鈴を押して友達が一緒に遊べるのかどうかただそれだけを知るために。

14.-そう!外にいたんだ。
なんておっかない世の中だったんだ、監視員もいないというのに。どうしていたんだろうか?
テニスボールと棒ッ切れで遊んでいた。適当にチームを作って試合をしていた。もちろんはみ出る子もいたけれど、だからといってうつ病になる子はいなかった。

15.-凄い秀才がいるかと思えば中には落第する子もいた。でもだからといって誰も精神科医のお世話になんかならなかったし、拒食症にもならなかった。だって教師の言うことに理があったから。

16.-我々はなによりも自由で、失敗があれば成功もあり いずれにしても何事にも責任を持つという自覚があった。

17.-日曜には親戚を訪ねて行った。なかでもいちばんの年配や恵まれていない親戚へ。

 

さて、ここで質問なんだけれど・・・

こんな環境でどうやって生き抜いてこれたんだろうね。

こんな暮らしの中でどうやって成長し大人になったんだろうね。(終わり)