静かなる革命?

日本でも報道されているかと思いますが、
24日イタリアで上院(Senato)下院(Camera)の総選挙が行われ、
なんと全く新しい党が大勝利を収めました。

政党という呼び名ももしかしたらふさわしくないかもしれない全く新しい動きです。

Movimento di Cinque Stelle 5つ星の動き と訳せましょうか。
このグループを率いるのは Beppe Grillo (ベッペ・グリッロ)という方で、
職業はコメディアンです。

Beppe_Grillo
Beppe_Grillo



でも、ここで日本の吉本系のコメディアンのイメージは払拭してください。
彼は私が来伊した85年にはすでに今風の話し方で、熱っぽく世評を風刺していました。
今、ざっと彼の履歴を見てみたら、1978年から日本のNHKに当たるイタリア国営放送で、
人気番組の司会を先輩とともにつとめ始めたそうです。

その国営放送に出演中(15/11/1986)に、社会党員は皆泥棒だと聞こえるようなコメントをしたということで
それ以来出演を禁止されその後は活動を舞台へ移すことになるのですが、
その生の舞台で、さらに民衆とのコンタクトが密になり、
彼の政治、世相への辛辣なコメントゆえに更なる人気を博すことになるのです。

テレビにはあまり顔を見せなくても知る人ぞ知るベッペ・グリッロでした。
コメディー風に世評や政治家たちを風刺するためには十分に勉強しなくてはなりません。
そうでなければ何十年も続かないはずです。

その彼の意見・意欲に賛同する友人たちとともに、2009年、この運動グループを立ち上げました。

すでに昨年の地方選挙ではこの5つ星の動きから4人が市長に当選し、
彼らが自転車で市庁舎に出勤するなどし、余分な経費の削減を体現しています。
また、シチリアでは同グループの市議会員たちが給与の70%を返上してそれで基金を作り、
中小企業の救済に当てています。

グリッロの主張はわかりやすく、我々庶民を惹きつけます。
今までの国会での質疑応答ではたとえば
-1999年の12月に制定された法令123の第3項の5条が改革され、
先月採決された第8条に変更になったことについてのご意見を伺います・・・とか何とか
テレビの国会中継を見ていても全く意味がわからない状態でした。
政治家ではなく政治屋がまるで俳優のように政治ごっこを演じていたという感じです。

政治屋と言いましたが、イタリアではどんな政党でも
どんなあほらしいスローガンを掲げたつまらない政党でも
一定の署名を集めた政党なら選挙費用として1億円が支給されるのです。
その選挙費用を5つ星の動きは拒否して自力でこれまで戦って来ました。
費用がないので、ポスターもなければ
他の政治屋と同じ舞台での演説を嫌って、一切テレビ番組での主張もなく、
ただひたすら「津波ツアー」と呼ばれるグリッロの街頭演説だけで運動を薦めて来ました。

先ず彼らの運動に注目したのはヨーロッパの他の国のメディアでした。
スイスやスエーデンの報道機関がグリッロにつきっきりで何ヶ月も取材をし、
グリッロの意図するところを世界中に報道し始めました。

イタリア国内のメディアといえば、相変わらずグリッロが首相になりたいのか、とか
左右どちらの陣営に属するつもりなのかとか、およそグリッロが考えもしないような質問ばかり。
しかも、集会を開くたびに、何十万という動員数があるにもかかわらず、
テレビの画面にはグリッロが顔を火照らせて、毒舌を振りまくというような画像ばかり。
その演説を聞いている何十万の人々の姿は一切報道されないままでした。
そのことをグリッロが集会で話をし、観衆たちがカメラマンにこっちも映すようにと叫び、
カメラが観衆に向けられた途端にテレビにはCMが流れたという逸話もあります。

グリッロは2000年からblogを運営し、イタリア国内で一番アクセス数の多いblogとなっています。
つまり、インターネットを最大限に活用して活動しているので
今度の選挙戦でも賛同者の一人がいつも彼に付随してすべてをLIVEで報道し続けました。
ですからグリッロの活動は今やイタリア国内だけの現象ではないのです。
ヨーロッパ中が彼の活動の行く末を見守っています。
そして一般市民に明るい希望をもたらしているのです。

MoVimento_5_Stelle_logo
MoVimento_5_Stelle_logo



今回の総選挙で、なんと 5つ星の動き は、全体の約30%の票を獲得しています。
今、イタリア国内で一番と二番の政治グループは、PDL中道右派とPD中道左派
極左や極右がないのなら中道といいう呼び方は意味が無いと思えるのですが、
イメージを重んじてか今も中道という言葉を必ず前につけています。(笑)

とにかくその中道左派と中道右派とが政権をずっとピンポンのごとく交代して遊んでいたわけです。
しかも彼らは連立です。
単一の政党としては上院・下院ともに 5つ星の動き が単独一位になりました!
イタリア国内で一番勢力のある政党、いえ、運動 になったのです!

現実問題としては左翼も右翼も連立して来るので5つ星の動きがすぐさま政権をとることはありませんが
与党にとって、ものすごく手強い野党であることははっきりしています。

地方選でも、イタリア全体の1/4にあたる6つの選挙区で勝利を治めています。

5つ星の動き の代表者たちに怖いものはありません。
彼らには守るべき地位も報酬もないからです。

昨日まで、教鞭をとっていたひとや、研究所に閉じこもっていたひと、
お店のキャッシャーをしていたひと、工場に務めていたひと、
小さな工場を営んでいたひと・・・・
こんな普通の人達が同じような境遇の人達の声を代弁するために議会へいくのです。

「一夜開けてて代議士になった感想は?」などインタビューされていた方が
「私は代議士ではありません。代弁者です。」と答えていました。


ご存知かどうか知りませんが、イタリアのごく一部の人達の報酬は信じられないくらい多額です。
警視総監の報酬がアメリカの大統領よりも多いと聞いて愕然としました。
2年半代議士を努めると一生涯月に何百万円という年金を受け取ることができるのです。
こんな有様だから、政治家ではなく政治屋が登場するのでしょう。

ECの中でも多額の負債を抱える国の一つになっているというのに
その辺りの制度を変えることが今までできないできました。
ベッルスコーニが議員の削減や報酬の削減を訴えていましたが、
プライベートな問題で追い出されてしまい、左翼系からはそんな声は全く聞こえて来ません。

左翼は庶民の見方というのは随分昔の話になってしまったようです。

労働組合は自分たちの務める会社の行く末を心配するのではなく、
今あるところからいかに搾取できるかということに頭を悩ませ、
仕事の出来ない同僚をかばうことや、終業時刻には即刻会社をあとにすることに専念しています。
終業時刻に仕事をやめて、それから手を洗い着替えをしてタイムカードを押すのではなく、
その時刻までに着替えを済ませ、出来ればコーヒーものんだあとで、
タイムカードのマシンの前で列を作って終業時刻がやってくるのを待っている
そんな会社を私自身が目撃しています。
その会社は・・・倒産しました。
それでは元も子もないでしょうに。

こんな間違った考えから脱却することもグリッロが訴えていることの一つ。

また、メイド・イン・イタリアと言いながら
例えば外国からオリーブオイルを輸入し、そこにイタリア産のオリーブオイルを
数パーセント混ぜて1リットルに就き1ユーロ高く輸出する。
もしくは安い値段で国内で販売するものだから国内の優良な質のオイルが非常に高く感じてしまう。

これはここ10年くらいの出来事で、私自身、急にエクストラ・バージンのオイルが安くなってびっくりしたものでした。


こういう細かな話をしていたは終わらないのでこれくらいにしますが、
ごく一般の庶民の気持ちを代弁してくれるグリッロ。
気の毒に今日も報道陣たちに取り巻かれ、まるで拷問のような質問攻めに合っていました。
何度も同じようなつまらない質問をし、彼の堪忍袋の尾が切れるのを待っているかのようでした。
今日のところは彼は本当に辛抱強く対応していましたが、テレビを見ながらハラハラしました。(笑)


5つ星の動き の勝利が確立して約一日が過ぎ、他の大きな政党の姿勢が早くも変わりつつあります。
先ず、当初は5つ星の動きを無視していたのに、今は彼らに理があると言い・・・
できるなら連立政権を持ちかけたいとも・・・

さて、どうなることでしょう。
政治というのも一種の職業なのだから素人には無理だという声もあります。
また、グリッロは誠実でも、要員が増えてくればグループの規律にそぐわないメンバーも出てくるかもしれません。
これからが本当に試練の時でしょう。
でも、もしも彼らの主張することが半分でも実現すれば「イタリアは生まれ変わることができるかもしれない」
という皆が諦めかけていた夢を持たせてくれています。

選挙戦の最終日、ローマのサン・ジョヴァンニ前の広場には約100万人近い人達が押し寄せました。
息子もその中の一人でした。




ホッ

1週間のドキドキからやっと開放されました。^^

6時に会場につき、先ず用意してあったゴルフクラブの宣伝用の1,5mくらいの高さのダンボールの柱に用意していった写真を貼り付けました。
Paoloとは20年も合わない友人たちも参加する予定だったし、友人たちと一緒に写っているのもあるし、
Paoloの叔母さんもPaoloが小さかった頃の写真を楽しんでくれるだろうと思ったので。

その後、テーブルセンター用のアレンジにとりかかりました。
写真もこのアレンジもこのレストランをあずかっている友人が手伝ってくれました。
彼女の助けがなければとても時間以内に終わらなかったでしょう。
最後に、テーブルの上に置く番号を折り鶴で(背中に数字を書く)作り始めました。
これが大変。
折り初めて少し経った頃、すでに参加者たちがチラホラと集まりだしたのです。
そこで手を止めて挨拶したりしていてどんどん時間がなくなり、
参加者たちにも手伝ってもらって一緒に折ったのですが、彼女たちに説明しながらの作業で、
一つを折るのに何倍もの時間がかかり、結局20は作りたかったのに、16だったかなぁ?出来たのは。

とにかくこうしてほぼ準備ができた頃には殆どの参加者が集まり、
暖炉の前に用意されたイタリアのシャンパン、スプマンテと
生ハムとパルミジャーノ・レッジャーノをつまみながらそれぞれに自己紹介をしてくれていました。
この辺りは人見知りの少ないイタリア人なので楽でした。(笑)

そして、皆の興味は -どのようにしてPaoloを呼び出すのか?- ということ。
そこで私が「車のエンジンがかからないからって電話するからね。」と自分の携帯を探したのですが見つからず、
友人の一人が「私ので呼び出してみるからそれでどこにあるか聞こえるんじゃない?」
ということで呼び出してもらったところ、なんと私は家に携帯を忘れていたのでした!

呼び出し音がしないように、バイブレーションだけにセットしていたのですが、
その音に気がついたPaoloが返事をしたのでした。
友人はまた後でかけるからといって電話を切ったのですが、
この時の私は自分の落ち度ですべての計画が台無しになったかとなんとも言えない気持ちでした。

でも、気を取り直してレストランのボーイさんの携帯を借りて(友人の番号はPaoloの携帯に入っている可能性があるので。)
計画通りに事情を話すと、「やれやれ・・」という感じで「すぐに行くから。」という返事でした。
これが8時7分のこと。

家からは約20分の距離、車のためにケーブルなどを用意してジャケットを羽織って出かけたとして8時半頃には来る可能性があるということになり、皆がワクワクしながら待っていました。
その間も私と友人たちは折り鶴を折っていたのです。(笑)

また、その頃雪が降り出し、とってもいい雰囲気になりました。
ローマに住む人達はあまり雪を見る機会がないのでとても喜んで窓際で見入っていました。

うっすらと積もった頃に車のライトが見えたので大急ぎでジャケットを羽織って飛び出しました。
車から降りたPaoloに「ごめんね~」と近寄り、「車の向きを変えて。」といっているPaoloに
「ちょっと来て、見せたいものがあるしバッグも取りに行かないといけないから。」と中に誘いました。

中は薄暗かったので、すぐには気が付かなかったようですが
その頃には皆で予め準備していた歓迎の歌を歌い始めたので、
Paoloも初めてすっかりはまってしまったことに気がついたのでした。

入場3
入場3


この夜のメニューは前菜がメランザーネ・アッラ・パルミジャーナ
プリモは最初がリコッタ入りのラザーニア、ホワイトでオレンジ風味のソース
プリモの2皿目はPaoloが大好きなフェットゥチーネ・アル・ラグゥ(ボロニェーゼ)
セコンドピアットは牛ヒレのグリル
付け合せは野菜のグリルのミックス(ポテト、ナス、ズッキーニ)
マチェドニア(フルーツポンチ)
赤ワインは地元Piglioで最高格と思われる「Bolla di Urbano Riserva」
ミネラルウォーターは地元Fiuggiの鉱泉入りの「Acqua Fiuggi」


以上、全て写真なし。ごめんなさーい。
どれもこれもとっても美味しかったです。
参加者たちにも大好評でした。

そしていよいよトルタ(ケーキ)の登場です。
やっとこの時写真を撮ることに気が付きました。(笑)

60本のローソク
60本のローソク


最近は数字の形になったローソクを真ん中に1本立てる形が主流ですが、私はあくまでも60本のローソクを主張しました。
真ん中には、「祝」の一字。

60本のローソク2
60本のローソク2


さすがに60本のローソクは点火も大変だったけれど、吹き消すのも大変です。^^

60本のローソク3
60本のローソク3


60本のローソク4
60本のローソク4


この日はPaoloの還暦とともに我々二人が二人三脚を始めてから25年の忍耐を祝う日でもあったので、
もう一つのケーキも登場。

忍の一字
忍の一字



プリモとセコンドとの間にPaoloに関するクイズを6題。
トルタの前にパターごっこ。
私がパーティーを計画するといつもこんな調子です。
70歳の叔母から5歳のGiuliaまで、皆が一緒に遊びました。
最高得点を稼いだのはAlessandra とMatilde叔母さん、どちらも8点だったので、
1位から3位までの賞品を用意していましたが、1位の賞品をAlessandraに、2,3位の商品を伯母に。
叔母は「来てよかったわぁ、おみやげまで頂いて。」と大満足。

Alessandraもアメリカから帰ってあまりこの近辺に知り合いもなく、
Paoloがご主人を仕事に誘った御縁でこの日も呼びかけたのですが、
思いがけなくパットがいい成績でとっても喜んでいました。
下がその後夫妻です。

Vittorio夫妻
Vittorio夫妻



この後、皆さんからのプレゼントを開封して
そのたびにPaoloは試着したりおどけたり・・・

Antonioカラのプレゼント
Antonioカラのプレゼント
Antonio夫妻と
Antonio夫妻と


最後に息子と私からのプレゼント。

Yoskeと私からのプレゼント2
Yoskeと私からのプレゼント2


ところが、なんとPaoloは少し前に来れとほとんど同じヘルメットをすでに買っていたのでした。
タイプも色もほとんど同じ。
つまり私達の選択は間違っていなかったということです。
どうやらこの新しいヘルメットは息子用になりそう。(笑)

では残りの写真をこのしたにまとめて。


ウソは辛い

今日はPaoloの60歳の誕生日。
1953年の今日、ローマの自宅で生まれました。
母親が糖尿病で、母体の中で5キロにも成長して文字通りの超難産。
自宅での出産だったので、余計難しかったのかもしれないけれど、
先生がが父親に「奥さんを取るか息子さんを取るか決めてください。」と聞いたのだそうです。
仕方なく父親は「妻を助けてください。」と答えたそうで、私としてもそれが正解だと思いますが、
なんとなくPaoloは父親に見放されたと思っているようです。

そして、生まれた時には産声を上げることもなく死んだ状態だったとか。
それから蘇生させるためにコーヒーを飲ませて心臓マッサージ。
で、なんとか産声を上げることが出来たそうです。
母乳より先にコーヒーを飲んだ子供は世の中にそんなにはいないと思います。
今でも日に何杯もコーヒーを飲まなくては気がすまないのはそのせいでしょうか?(笑)

心臓マッサージをしたのがベッドの足元にあった衣装箱の上だったので
その衣装ケースの繋ぎ目がやわらかな肌を痛めたようで、
今でも彼の背中にはうっすらとその傷跡が残っています。

彼の両親はもうこの世にはいませんが、どんなにか今日を喜んでくれたことでしょう。

イタリアには還暦というような言い方も感覚もないのですが、
小さなお祝いを仕様と友人たちに電話をして、
「Paoloが60さいになるのよ。」というと、
誰もが「それは万難を排して参加しなければ。」と返事をするので、
やはり他の年よりは重要なお祝いなのでしょう。

Paoloは柄にもなくテレ屋さんで、あまりお祝いされることを好まないので
当初は家族だけでささやかに、少し贅沢なレストランにでも出かけて・・・
と思ったりしたのですが、
わたしの通うゴルフクラブのレストランを任されている友人が、ある日実入りが少ないと嘆いていたので
それならば、とそこでお祝いをすることにしたのです。

そこは何より駐車場が広いので出席してくれる方々にも便利だし、
ローマからくる人達も、高速を出て15分ほどで到着できるし、
何よりも完全貸切でのパーティーになるので色々と遊べるなぁというので決めました。

Paoloに持ちかけたらきっといらないと言うだろうと思ったので、
完全に秘密で準備を進めて来ました。
普段、どんな些細な事でも、帰宅時にその日のことを色々と話す癖がついているので
懐かしい友人に電話をして話したことや、誰それがお祝いを言っていたよ、なんてことを
毎日話しそうになってしまって、口先に出る言葉を飲み込むのに苦労して来ました。

そうそう、この場所に決めたのは一つにはPaoloを夕食時に家から引っ張りだす口実に
毎日私が通っているところなので、今日も同じように出かけて
「車のエンジンがかからないから迎えに来て。」みたいな感じで
皆が揃っているところに呼び寄せることができるかなぁと思ったのです。
うまくいくかどうかは今夜のお楽しみ。

今のところ友人たちもことの次第を理解して、Paoloには何も言っていないみたいです。
ただ、昨夜は思ったよりも早くに帰宅したので、テーブルセンターを作っているところだったので、
とっさに、「友人のホテルのテーブルセンターを準備しているのよ。」と嘘をつきました。
「ふーん?」という返事でしたが、なんとか信じてくれたみたい。

内緒事だけでもドキドキしているのにウソまでついてしまって、もう限界です。(笑)
早く全てが終わってくれますように。


フェスタの様子はまた後日報告しますね。





目の検査

10年ぶりくらいになるでしょうか、眼科へ行ってきました。
昨年運転免許の切り替えの時の視力検査がもう裸眼で運転できるギリギリのところだったので、
その時に検査してくれた眼科医がきちんと検査するようにと言っていたのと、
昨年の夏、フラッシュが続いて少し心配なこともあったので。

ゴルフ仲間の推奨で、隣県の病院の主任眼科医が開いているクリニックへ。
Veroliというとっても綺麗な街の入口にその診療所はありました。
1階が郵便局ということもあり、ついてみたら車を置く場所がなくて困りました。
運良く少し待っていたら何とか止めることが出来たのですが、
受付に行ってまたびっくり!
私の予約は4時、個人のクリニックということで、
静かな音楽の流れる待合室に、2~3人の人がいるところを想像していたのですが、
(10年前はそうだった・(笑)
細長い通路いっぱいにご年配の方々が、ところ狭しとひしめいていました。(笑)
これは今夜の夕食時までかかるのではないかと心配になりましたが、
「待ち時間はどれくらいだと思いますか?1時間くらい?」と受け付けの方に聞いたら
「そうですね、それくらいでしょう。それ以上はないと思います。」とのこと
可愛い街なので、少し歩いてお茶でも飲みに行こうかと思ったのですが、
天候が思わしくないし、そこから街の中心までは車ならあっという間でも登り坂を歩いて行くにはちょっと・・・
ということで、スマホの数独で遊ぶことにきめました。

あふれんばかりの人達、でも皆が診療を受けるのではないこともわかってきました。
ご年配だし、付き添いの方が一人、または二人ついておられたのです。
で、きっちり1時間くらい待った時に私の順番がやって来ました。

入ったら若い女性の先生。
私が予約したのはBaglioniというご年配の男性の先生。
「先生は今日はいらっしゃるの?」と伺ったら「はい、後で検診してもらいましょう。」
ということで、その女性の先生に、簡単な検査(器械の中を覗くと道路のようなものが見えていました。)
そして、いわゆる視力検査をしていただき、「では、もう少しお待ちください。」ということで
更に1時間待たされいよいよ大御所の診察室に入りました。

ここで、眼底の検査と眼圧の検査をしていただき、特に問題はないとの答えをもらいました。
「またフラッシュが続くようなことがあったらすぐに来なさい」ということでしたが、
今はメガネをかければ生活が快適になるでしょうということでした。

私には乱視もあるのできちんとしたネガネを作らねばなりませんが、
読書用には市販の老眼鏡でもいいですよとのことでした。

フラッシュのことで心配してくださっていた皆さん、
以上の結果ですのでどうぞご心配なく、検査が遅くなってすみませんでした。(汗)

今年も・・・

昨年、2月1日に大雪が降り、3月の終わりまでゴルフ場がしまっていたのですが、
今年も昨日行ってみたらゴルフ場は真っ白で、練習場へ行く道も滑ったら危ないというので
閉鎖ということになりました。
滑っても自己の責任という証書を書くからといってもダメでした。(笑)

今日は練習場だけは開いているそうですが、グリーンはNO.
ゴルフ場の裏に住んでいるならともかく、
我が家から25分車を飛ばして高いガソリン使って、練習場だけではやっぱり残念です。
いいお天気なので残念ですが、その分庭仕事に精をs出すことにいたしましょう。

昨日も午後の数時間で、クイーン・エリザベスを3株、
マミル(私が命名したバラ)
デプレ・ア・フルール・ジョーヌ(シュートがかなり伸びていた。)
シラノ・ドゥ・ベルジュラック(重みで支えが倒れていた。)
マーメード(これもシュートがかなり伸びていた)
以上のバラたちの剪定と誘引が出来ました。

庭全体の管理がおろそかになっているので、
誘引しようとする金網に絡みついているツタや樹の枝を先ず整理しないといけないので
時間が何倍もかかります。

では、今日も残りのバラたちの剪定を中心に庭仕事頑張りまっす。