またまた恥ずかしいけれど・・・

生まれて始めてゴルフのレッスンを受けてきました。

亡き実母が残したクラブをえんやらことイタリアまで持ってきたのはいいけれど、
玄関の隅に放置したままでした。

でも、Wiiを買ってからゴルフの遊びが大好きになって毎日のようにしていたら
Paoloが「そんなに好きなら実際にやってみたら」と何度も言ってくれて、
しかもうちから30分以内でヨーロッパで最も古いといわれるゴルフ場があるのです。

いいところに住んでるでしょう?(笑)
イタリアで一番水質のいい海水浴場まで1時間ほど。
スキー場まで1時間ちょっと。
ゴーカート場まで30分ほど、
ミニバイクのコースまでこ一時間、
鉱泉プールまで25分
ゴルフ場までも約25分。

こんなロケーションにいながら一度も行ったことがありませんでした。
ゴルフはお金持ちの趣味。
自分には縁のないことと頭っから遠ざけていたのですが、
亡き実母が生涯の友としていたゴルフとは何ぞや?
彼女と一番つながれるのはゴルフではないかと思い、
ちょっとレッスンだけでも受けてみようと思い立ちました。

自分には適していないかもしれないし、
好きになれないかもしれないけれど、
まったくチャレンジせずに終わるのは残念な気がしたから。


とりあえず、今日のレッスンでは素質ありの診断が下りました。
まぁ、先生にしたらそういわざるを得ないでしょうけれどね。(笑)

幸い、ここは会員権を買うのも家を抵当に入れなくても大丈夫そうだし。(笑)
来期はプールをやめてここにするかも???

まだまだ未知数ですが、取り合えず5時間のレッスンの申し込みをしてきました。

我が家の井戸水

毎年7月上旬に一人の紳士がやってきます。
彼は水質検査をする機関に勤める方です。

我が家の蛇口から一定量の水を持って帰り、
10日ほどで、その検査結果を持ってきてくれます。

2003年、最初のときは若干のバッテリーが検出されて、
新生児には煮沸してから飲ませるようにとのことでしたが、
我が家にはその当時新生児もいなくて、事実上気にすることはないという話でした。

我が家の水源は井戸水。
井戸といっても、われわれがすぐに思い浮かべる
つるべを使ってくみ上げることができるような井戸ではなく、
細くて奥深いタイプで、やはり細長いポンプが沈んでいます。
電動でそのポンプがくみ上げるのですが、
まずくみ上げたところに二つのフィルターが、
そして、いったん貯水するタンクが納屋の中にあって、
そこから出るときにもまたフィルターをとおり、
さらに、湯沸かし器の手前でもう一度フィルターを通るという風に、
いくつものフィルターを設置しています。

もともとこのあたりは水の質がよいところで、我が家から車で3分ほどのところには
有名なミネラルウォーターの出るところがあって、
我が家の井戸水ももともとの水の質もいいのでしょうが、
最初の年に若干のバッテリーが検出されたのは、
おそらく前のこの家の持ち主の管理が悪かったものと思われます。

とにかく2年目からは、まったく何も検出されることはなく、
我が家の水をミネラルウォーターとして売ることもできるということです。(笑)

今年も、今検査結果を受け取ったのですが、すべてOK..
何よりうれしいのはイタリアの水は硬水ですが、
我が家の水は、理想とされるか硬度が15~50(日本では3桁の表示)
なのに対してわずか14ということで、ほぼ軟水に近い水です。

ですから我が家に立ち寄られることがあったら、どうか安心して水を飲んでくださいね。^^

サプライズは友を呼ぶ?

先日のイデリーノさんとの楽しいサプライズに続いて、
今日も小さな楽しいことがありました。

仕事を終えてやっと楽な服装に着替えをしていたPaoloの携帯がなりました。
同僚の車が故障して、うちの近くで困っているというのです。
Paoloの大きいほうの車は修理中で、普通車には4人しか乗れませんがお客様方は総勢7人。
そこで私も助っ人に行くことになりました。
Paoloは2往復するつもりでいたみたいだけれど、電話の内容から察しがついた私が
「私も行こうか?」といったらすぐに「うん、お前も来て」ということになって、
庭仕事着から即座に着替えてすでに出発したPaoloの後を追いました。

うちが懇意にしているタイヤ屋さん兼修理やさんで落ち合うことになっていたので、少し遅れて駆けつけました。

Paoloのメルチェデスのすぐ後ろに私のマツダドゥエ(デミオ)を止めて挨拶し、
さぁ出発となったら、女性人4人がすぐにメルチェデスへ、
残った男性3人、14歳と、12歳の男の子と父親が私の車に乗りました。
小さなマツダを見て、おそらくはクーラーもないんじゃないかと女性たちは思ったのかもね。(笑)

出発してすぐに、「私は英語はあまりできなくてごめんなさいね。」といい、
続いて「イタリア語を話されますか?」と聞いたら答えは「No.」
冗談のつもりで、「では日本語を話されますか?」と聞いたら
「はい、少しだけ。」という返事!

なんと2年間東京に住んでいたことがあるご家族だったのです。
すでにほとんどの日本語は忘れてしまっているようでしたが、
目的の病院について
(同行者が、盲腸の疑いで救急車で病院に運び込まれていたのです。)
Paoloは、もしかしたらローマまで送らねばならないかもしれないけれど、
そのときはほかの同僚を呼ぶからということで、
私はそこでお払い箱になったので(ほっ・(笑)「グッバイ」というと
一人一人が日本語で、「ありがとう」といってくれたのです!
うれしかったぁ。