世代交代

昨年、挿し芽をして、こんな可愛い花を咲かせてくれていたプリンセス・ドゥ・モナコプリンセス・ドゥ・モナコわずか20cmほどの株ともいえないほど小さな株にりっぱに花をつけてくれたのでした。2年目の今年もすでに2度ほど花が咲きましたが、よく見てみると、どうやら新しい茎に花がつき、昨年の茎は枯れてきています。バラの茎、新旧根が張って、新しいシュートが出て、旧いほうは疲れてしまったのでしょうか。潔く元気なものに命を譲る自然の厳しさを見る思いです。————*————-お気づきのように「花便り・庭便り」のページも世代交代をしました。自分の思うように手作りできる以前のページは大好きだったのですが、花の数が増えてきたので、自分のために少し整理しておきたくなったのですが、カテゴリーを自分で仕分けするのは以前実践していたのですが、とてもとても大変な仕事でした。そこで、時間の節約と、ファイルの量を削減するためと、間違いを少なくするためにもこのようにブログを使うことにしました。また予測できない問題が生じて変更する事も大いに考えられますが、しばらくはこのスタイルで行ってみようかと思っています。

第1回イタリアオフ会報告 その4

早いもので、夢のようなイタリアオフ会が終わって2ヵ月の時が過ぎました。

記憶が薄れながらも、「楽しかった」という印象は日増しに大きくなり、未だにその余韻に浸って過ごしている有様です。

でも、そろそろ報告もおしまいにして、何か面白いイタリアに関する記事を書かなくてはね。^^

 

これが最後ですのでお付き合いください。

オフ会の最終日は見残したローマの見どころの観光と、参加者の方々のお土産を充実させるために、たまたま我が家の近くにできたアウトレットへ行くことになりました。

 

でも、ローマへ行く前に朝のすがすがしい空気の中、この街の少し上のほうにある自然の放牧場を見ていただくことにしました。

柵があるわけでもなく、馬・牛・豚・ひつじと牧羊犬が仲良く自然にすごしているところをぜひ日本の皆様に見ていただきたかったのです。カンポ1 カンポ2 カンポ3

 

さて、オフ会初日にローマの観光を済ませるつもりがサン・ピエトロ寺院で思いのほか時間をとってしまったことや道路事情によって一般車では思ったところへ入っていけなくて、トレビの泉とコロッセオ、そして真実の口という世界中の方が大好きなローマの名所をまだお見せしていなかったのです。

 

この日は真っ先にコロッセオへと向かいました。

昔は一階部分には自由に出入りができたのですが、かのルテッリという私欲の深い人がローマの市長になってからというもの、ローマの観光がいっきにせせこましいものになってしまい、観光バスが市内を自由に動けないばかりか、遺跡への入場料も上がり、あるいはこれまでは無料だったところが有料になり、どこもかしこも長い列ができることになりました。

 

文句を言っていても始まりません、おかれた状況の中で何とか観光をしなくては。

コロッセオが見える丘の上で大まかに説明をし、待ち合わせの場所を決めてそちらで落ち合うことにしました。

なぜならコロッセオに駐車場はなく、車を止めて置けないからなのです。

大好きなコロッセオ、一番ローマらしい、あるいは一番ローマ帝国のモニュメントらしいコロッセオ。

許されるなら何時間でも説明したいところです。

 

その素晴らしい建築技術、壮大なローマ人の生活、美しい建築物と、そこで繰り広げられた残酷な競技・見世物。

自分に関係のない人間が目の前で殺されるほど面白い見世物はない。

誰の心の隅にも潜んでいるであろうこの思いを現実のものにしてしまったローマ人達。

でも、潔く戦った者は皆で皇帝に意思表示をして助けてあげたというローマ人達。

諸行無常をかみしめながら生きていた人達かもしれないという気がします。

 

説明したところから車で待ち合わせの場所に移って待っていた私ですが、トイレ休憩を含んでいたとはいえ、いささか時間がかかりすぎのようで少し心配になってきたところにようやく皆さんの姿が見えてきました。

そして皆さんは身をよじらんばかりに笑いながらのご帰還です。

ご帰還 (写真中央の4人なのですが・・・)

なぜなら参加者の一人が写真の撮影に夢中になっていてがけから転げ落ち、もしもキョウチクトウの大きな株がなかったら2メーターほどのところへ落下して、大怪我をしていたかもしれないということだったのです。

もちろん大笑いでそういう顛末を話せたのですから怪我もなく事なきをえたのですが。

 

何でもその転がりようが幼児のように無抵抗で可愛かったというのが大笑いの原因のようでした。

キョウチクトウの株に引っかかるようにして止まったので、これからはゆめゆめキョウチクトウをおろそかにはできないなどと笑いはつきませんでした。

 

そのあと、すぐ近くの「真実の口」へ行ったのですが、厳密にはここでも私は車をおいておく場所がなかったので、場所を説明して参加者の方々のみで行ってもらったのですが、運悪く大きなグループがいて、とても時間がかかりそうだということで、外から写真を撮ってすぐに戻ってこられました。

 

さて、最後の名所はトレビの泉です。

でも、そろそろ昼食の時間になりました。

その日は私のわがままを聞いてもらって、ちょうど駐車場からトレビの泉へ行く途中にあるローマでは老舗の日本料理レストランで昼食をとることにしました。

参加者の皆さんは、イタリア料理が大好きで、日本から何がしかの日本の味を持参されたのに、全く手をつけることもなかったという程です。

 

私がローマまで出かけたときには、普段食べられないにぎりずしのような日本食が食べたくて・・・

しかも日本食レストランでは大幅に時間を節約できるのです。

イタリアのレストランで本格的に昼食をとると2時間ほどはすぐにたってしまいます。

そこで皆さんの賛同を得て、ローマに住む日本人達が食べている日本料理を召し上がっていただくことにしました。

 

そして食後はじりじりと焼くつくような日照りの下をトレビの泉へと足を進めました。

トレビの泉を見た方はたいていその立地条件に驚かれます。

大きな広場に面しているのではなく、建物が林立している中に収まっているのです。

設計はニコラ・サルビによるものですが、その場所に設置しようとしたのはローマの街を今日のように美しく飾り立てたジャン・ロレンツォ・ベルニーニです。

バロックの生みの親、あまりにも偉大な芸術家ベルニーニ。

彼の遺産は数百年を経たい今でも、世界中の人々をローマへと呼び寄せているのです。

 

ただ、あまりの人手にいささかうんざりしてしまいました。

そそくさと、コインを投げたい人は投げ、駐車場へと取って返しました。

ラッシュもない中途半端な時間だったので、快適に高速を飛ばし(制限速度内でね・笑)

食後に車の揺れはおおかたの参加者を心地よい眠りに誘い、おそらく眠っていた方にはあっという間にアウトレットに着いたのでした。(笑)

 

そこで約1時間、各自自由に時間をつぶし、それぞれお目当てのものを買い、私もせっかくなので息子のバミューダパンツなどを買って、次の日の出発に備えてのトランクの整理などもあるので早めにホテルに帰りました。

 

そして、いよいよ最後の晩餐です。

初日から皆さんに本場のピッツァを食べていただきたかったので、「今日こそは」とSegniの街の頂上に位置するその名も「パノラマ」というピッツェリーアへ繰り出しました。

Segniは標高680m。ここからは約200の町が見えるといわれています。

 

参加者の一人の方が、ぜひ夜景の見えるところで夕食をとりたいといっておられたので、その希望がかなうようにと、もうずいぶんご無沙汰のこのピッツェリーアを選んだのでした。

思えばこの田舎のピッツェリーアに始めてきた頃には日本人が珍しく、あちこちのテーブルでささやきが聞こえたり、珍しそうに見つめられたりしたものですが、最近はあまりそういうこともない様に思います。

アンティパスト
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もしも誰かがそういう風に見ていたとしても、われわれは何も感じませんでした。

多勢のイタリア人の中にいることさえ忘れるほどに

自分達のペースで楽しんでいたからだと思います。

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大いに笑って、大いにしゃべって(こんなに日本語をしゃべったのは久し振りです)

大いに食べて・・・本当に楽しいオフ会もあっという間に終わってしまいました。

 

翌日は、15人乗りのミニバスで空港へ向かいました。

それぞれがいろんな想いを胸に、ついつい黙りがちになっているのをそのままにしておけばいいものを、バスの中での沈黙はかつての職業意識がなんとなく放って置けなくて、

つまらない無駄口をたたきながら空港に着きました。

 

最後に空港の出発口に行ったのはロスへ行ったときだから2年前。

あの時は空港の警備が非常に厳しくて、航空券を持っていない人は建物内に入れなかったものですが、今回は身分証明書の提示を求められることもなく、そもそも出入り口に警官もいなくてちょっと虚をつかれてしまいました。

 

今でもアメリカ行きの飛行機に乗る人たちの検査は厳しいようですが、そのほかの地域に行くにはそういうこともなく、われわれは少し早くつきすぎて、まだ乗るべき飛行機の表示もない状態でした。

時間つぶしに2階の喫茶店に入り、思い思いの飲み物を買って席について・・・

名残惜しいのですが、田舎まで帰る為にミニバスに待ってもらっているのであまり長居もできず、思い切って別れを告げました。

 

「それじゃァ」といったとたんに帰国組みの方々の目に光るものが見え、やっぱり私も我慢できなくて泣きながら、イタリア人のように肩を抱き合ってお別れしました。

 

冒頭で、

”「楽しかった」という印象は日増しに大きくなり、未だにその余韻に浸って過ごしている有様です。”

と書いたのは、帰国なさった後も掲示板で毎日のようにはなしをし、これまでと違って掲示板上でのはなしにも相手の表情が見えるような気になるので一段と楽しくおしゃべりができるからだと思います。

 

つまり、私にもやっと友達が出来たのだなという実感をもたらしてくれた、素晴らしい置き土産をしていってくれたオフ会でした。

 

遠くから駆けつけてくださった Hitomiさん、まみるさん、Siroさん、

本当にありがとうございました。

こんな素晴らしい企画を実現に導いてくださったYukoさん、ありがとう。

そして日本でも温かくオフ会を見守っていてくださった皆様方、ありがとう。

最後にいつもながらの私事に付き合ってくださっているメルマガの読者の皆様、ありがとうございます。

第1回イタリアオフ会報告 その3

オフ会が終わって、すでに1ヶ月以上たってしまいました。

まだ思いでの中にいたり、どうかすると記憶が薄れたところもありますが、
今回はポンペイ〜ポジターノ行です。

 

もしもツアーなら朝は7時にホテルを出発。

それがそれがイタリアのはとバスツアーなら5時にはローマの共和国広場あたりに集合。

でも、われわれは普段と同じく9時にホテルを出発しました。

かつては国家警察の狙撃班にいたという面白い経歴を持つロティリオさんが今日、われわれを南へ連れて行ってくださいます。

彼は日本語は分からないので、長旅でもあり、おしゃべり好きな彼が退屈しないようにロティリオの大ファンであるうちの息子を話し相手に連れて行きました。

予想通り、二人は一日中飽きることなくしゃべっていました。 (笑)

 

ローマ市内からは高速に乗るまでに時間がかかるのと、うちからポンペイまでは距離も50kmほど短くなるのと、大型観光バスの制限速度が100kmなのに対して、今回われわれが使ったメルチェデスのVitoというワゴン車は普通車の範疇なので、制限速度は130km。

こういう小さな違いが2時間朝の出発を遅らせても十分ほかの観光客達と同じような時間にポンペイの遺跡につくことになるのです。

 

この日も天候に恵まれて、気持ちよく高速道路Aの1号を南下していきます。

Caserta(カセルタ)という町のゲートでいったんこの高速道路とはなれ、そのままSalerno(サレルノ)行きの高速に乗り継ぎます。

この二つの料金所の間からはナポリの車も入ってきて、道路事情はいっきに混沌としてきます。

 

残念ながらこれまでにもお話してきたようにイタリアの南部は治安が悪いです。

高速道路上のサービスエリアでも人相の悪い人たちがうろつき、観光客と見るとなにやら売りつけに来たり、お釣りをごまかそうとしたり・・・・

 

そういうことで不快な思いはしたくないので、トイレ休息を取らずに来ましたが、 このまま遺跡に入ってしまうと、またまたトイレが大変なので、サレルノ行きの高速道路の最初の出口、エルコラーノというところでいったん降りて、すぐ前にあるバールで本格的なナポリのコーヒーを味わい、その隣の老舗のカメオやさんで、作品を見せてもらい、ついでにトイレも拝借することにしました。

 

バールでは、客が立て込んでいるのに一人で何もかもこなす若い女性がいるだけだったのですいぶん待たされましたが、そのうちお客の一人がわれわれを見かねて

「そこのテーブルで待っていなさい、コーヒーは私が持っていくから。」 ということになり、図らずも楽な思いをさせてもらいました。

先ほど南部は治安が悪いといいましたが、個々の人たちはとってもいい人が多いのです。

 

こんな小さなエピソードも加えていけば、きょうの記事も長くなりそうです。

 

さて、おなかが一段落したのでその隣のカメオ専門店へ行きました。

なぜならここがカメオという世界的に有名な浮き彫り細工の本場だからです。

いまやイタリアのどこでも売られてはいますが、やはり作っているところで買えたらそれに越したことはありません。

何人かの先生達はわれわれが見えるように、店内で彫っておられるのです。

先ず、その仕事を見せていただき、ショールームで小さなお土産を買い、その後ゆっくりと待望のトイレへ行きました。(笑)

 

そこからポンペイの遺跡までは15分ほどでしょうか。

大きなグループたちが行ってしまった後で、チケット売り場も混雑がなくスムーズに2000年前の街に入っていきました。

 

Porta Marina
かつてのイタリアの街がみなそうであったように、ポンペイも城壁で周囲を囲まれています。

前方に見えるのが、「海の門」と呼ばれるひとつの出入り口だったところ。

今ではポンペイの表玄関になっています。

この橋が今と2000年前の街との架け橋になっています。

 

今回、このチャンスを生かしてポンペイの細部を写真に残し、書きかけになっているポンペイの人々の暮らしを皆さんにご紹介するのに役立てようと思っていたのですが、

いざ遺跡に入ってしまうと、同行している方への説明に一生懸命になってしまい、ほとんど写真を撮ることを忘れていました。

 

先ずはバジリカという裁判所だったところを通り抜け、ここは街の中心広場フォーロです。

Foro

周囲を2階建ての白い柱列に囲まれた美しい広場で、柱列の外側には屋根があり、雨が降っても散策ができるようになっていました。

でも、今日は遺跡の説明はこれくらいにしておいてわれわれの行動のみを報告します。

ひとつだけ記念写真を・・・teatro Teatro2音楽堂です。

 

かつて、グループをご案内していたときにはこの遺跡の中を1時間15分から1時間半ほどでご案内していました。

今回もそのつもりで入ったのに、気がついてみるとすでに2時間半近く歩いていました。

これでは昼食を逃してしまうことになりかねません。

そこで急いで車を呼び、出口へと向かいました。

幸いにも私が当初希望していたソレントよりもかなり近いヴィーコ・エクエンセの海辺のレストランをPaoloが予約しておいてくれたので遅れの電話を入れながらなんとか席につくことができました。

Paoloは、私が時間に制約されることがなければポンペイの遺跡の中からそう簡単には出てこないという事を当の本人よりもよく分かっていたのですから驚きます。

ご存知だとは思いますが、イタリアのレストランは昼食時が終わると店を閉めてしまって夕食時まで、つまり午後の4時ごろから7時ごろまでは開かないのです。

われわれがついたのがすでに3時近かったでしょうか。

それから2時間ほど至福のときを過ごしました。

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われわれが座っている目の前の景色です。

そしてテーブルには・・・・

アンティパスト 柔らかなイカの生(絶品)タコも柔らかで最高

リゾット リソット・アッラ・ペスカトーラ

 

スパゲティー・アッレ・ボンゴレ  スパゲッティアレボンゴレ

  海老・イカのグリル

イカ海老のグリル 海老・イカのフライ

イカ海老のグリル
新鮮な野菜サラダ

サラダ
デザートの数々

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眼下の海はこんなにきれいな水で魚達が泳いでいます。

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途中すごいにわか雨が降りました。

もちろんわれわれは屋根の下にいるので問題なし。

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われわれが席を立つ頃にはすっかりもとのいい天気になっていました。

この後本当は今回の幹事役でもある大のイタリアファンのYukoさんのたってのご希望でアマルフィのドゥオーモへ行きたかったのですが、もしも行けば帰りが真夜中になるというので、このあたりでは並んで人気のある街ポジターノへと車を向けました。

ポジターノ ポジターノ

今でも海からしか出入りできないホテルなどもある面白い可愛い町です。

カラフルな建物に、色とりどりの衣服や陶器などを売るお店がひしめきます。

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そしてどこもかしこもブーゲンビレア ! ブーガンビレア

この後駆け足でソレントへ。

実はソレントは滞在型の街で、こうして通り抜けるだけではそのよさは味わえないのですが、いたし方ありません。

街の中心広場にこんなかわいい乗り物が止まっていました。

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20分ほどだったでしょうか、それぞれが自由に時間をつぶし、私はそそくさとリモンチェッロを買って、夕暮れのソレント半島を後にしました。