第1回イタリアオフ会報告その2

はじめに、

今回オフ会に参加してくださった方々がそれぞれHPにオフ会の記録を発表なさっています。

まみるさんは写真集として、それぞれの写真にコメントをつけておられます。

まみるさんのblog「もっとん家の食卓」

イタリア・オフ会  2007年5月20日(日)〜26日(土)  写真集へ

 

hitomiさんは、その文才を生かして詩的に、またご自分の気持ちもこまやかに記録なさっています。

http://homepage3.nifty.com/hitomisan/  hitomiさんのHP

HPの-日記-で紹介なさっていますのでご覧になってください。

すでに  6.26 日記 Toristico(Sightseeing) No3(旅行記 その6)
6.17 日記 E’ miracolo!(It’s miracle!)これって奇跡!(旅行記 その5)
6,15 日記 Turistico(Sightseeing) No2(旅行記 その4)
6.13 日記 Turistico(Sightseeing) No1(旅行記 その3)
6.8 日記 涙溢れて  (旅行記 その2)
6.4 日記 目覚まし時計(旅行記 その1)

こんなにたくさん書いておられます。

 

Yukoさんは、うちの掲示板で時々報告をしてくださっています。

近いうちに掲示板上の「オフ会情報」を「オフ会報告」に改名して、皆さんの報告をまとめたいと思っています。

 

さて、前置きが長くなりましたが、

オフ会2日目の今日はある意味で、今回のオフ会のハイライト・・と自分でいうのは変ですが、なんといってもKeikoに会ってやろう、Keikoの庭を見てやろうというのがみなさんをイタリアへ向かわせた大きな動機のひとつだと思っています。

 

毎日楽しく庭仕事をし、きれいに咲いた花達を愛でては幸せな私ですが、やはり誰かに「きれいねぇ」と言ってもらえると何倍も幸せです。

しかもわざわざ日本から見に来てもらえるなんて、なんとも光栄なこと。

そんな思いがいささか私の気持ちを舞い上がらせ、決して上手にはご案内できませんでした。

庭のストーリーや花の特徴や、そんなことを話しながらゆっくり写真も撮って頂いたら良かったのに、なんだか気がはやってどんどん歩いていただけのような気がします。

 

でも、小さな楽しいサプライズもありました。

うちのブドウ畑は隣のエリオさんちと隣接しているのですが、エリオさんちの大きな桜の木の枝がブドウ畑のほうへはり出だしていて時まさにさくらんぼがたわわに実っていたのです。

しかもちょうどエリオさんが通りかかり、「どんどん食べなさいよぉ」と声をかけてくださいました。

(去年もおとどしもこのさくらんぼことなど知らずにいたのですよ(笑)

早速取り立てのさくらんぼを皆でほおばりました。

エリオさんは、数年前に消毒をしていて気分が悪くなって以来、決して薬を使わないので安心していただけます。

 

その後は、うちの畑のイチゴをひとりにひとつずつしかありませんでしたが召し上がっていただきました。

うちの畑も、水と太陽と土だけの産物です。

ちょうどオフ会の直前にギョリュウバイを買ったので、それを記念に皆さんに決めてもらったところに植えつけようと思っていたのですが、やはりすぐには場所が決まりませんでした。

後日、オフ会のあとも3週間イタリアにとどまるYukoさんに代表して決めていただきました。

これまでギョリュウバイは2本枯らしているのですが、今のところ元気です。^^

 

さて、この後は以前メルマガでご紹介したFumoneという街へ行き、美味しいものを食べて、お城の見学も待っています。

 

先ず車を止めたのはLago di Canterno=カンテルノ湖。lagodicanterno01
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色がこんな風になっているのは、日本から新しいデジカメを買ってきてもらって、まだ何もセッティングをしていなかったからなのです。

ほかの方々は私が一生懸命デジカメと格闘しているところを写真にとっておられます。(笑)

シャッターを押してくださったのは、今回の黒一点、まみるさんのご主人です。

この野原にもたくさんの可愛い花が咲いていました。

 

ここからFumonへはすぐなのですが、道はカーブがきつくなり、Fumoneへ上り始めるといくつかヘアピンカーブもでてきます。

小さな車で、皆さん本当にお疲れ様でした。

 

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われわれ以外には観光客は誰もいないフモーネの町。

おいしそうな香りのクッキーを焼くお店が開いていました。

そこで早速いろいろ味見をして、皆さんは日本への最初のお土産ができました。

荷物になるから後で買おうといったらもう昼休みになり、午後は4時過ぎにならないとあかないというのでたくさんのクッキーを買って車に積み込んで、待望のレストランへ向かいました。

 

ガーリックトースト、山ほどの生ハム、ペコリーノチーズ、サラミ、オリーブなどの前菜。

卵で作ったパスタにあっさりとしたトマトソースのプリモピアット。

ペコリーノチーズをたくさんかけていただきました。

もうひとつプリモが続きます。

これこそここの名物豆と乱切りパスタのスープ。

そして腸詰と鶏と子羊と豚肉の炭火焼がセコンドピアット。

コントルノ=付け合せの野菜は大きなボールに一杯の新鮮な野菜サラダ。

お肉は残りましたが、まみるさんのご主人がこのサラダを平らげました。

そして、ワインとアニスの入ったちいさなドーナツ型のクッキー

エスプレッソコーヒー

グラッパとリモンチェッロ

1リットルの赤ワイン

2リットルのおいしいお水

以上を2時間ほどかけてゆっくりといただきました。しあわせ幸せ。

 

3時にはお城の見学がはじまるので、日本人のわれわれはちょうどにその前で待っていましたが、なかなか開きそうにありません。

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やっとガイドさんがやってきて、いざと思いきやまだまだお待ちくださいとのこと。

 

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われわれがせっかちなのかむこうがのんびりなのか・・・

とにかくやっと見学が始まりました。

以前ガイドつきで見学したときにはパオロがいたので、説明もそんなに注意深くは聞いていませんでしたが、

今日はパオロ抜きなので、一言も漏らさぬように聞き、皆様にお伝えしました。

この城は今でも城主が住まいに使っているというのも今日では珍しいことです。

また、法王庁に対する犯罪者の牢獄として使われていましたが、もうひとつ、この城にはやりきれない悲劇が起こり、今も亡霊がでるといわれているのです。

それは、何代目かの城主の時代に、確か5人の姉妹達の後に男児が誕生したのです。

当時の習わしとして財産は全てその男児が受け継ぎます。

そこで、わずか3才の時に姉達の手によってその男児は毒殺されてしまったのです。

それを知った母親は、嘆き悲しみ、そのこの遺体をミイラにして洋服ダンスの中に安置しました。

今もその遺体はそのままそこにあり、彼が身につけていた洋服と共に収まっています。

また母親は城の中にある肖像画をみんな喪服に描きなおさせたということです。

そして、今も母親はその子に会いにやってくるのだそうです。

この後の数枚の写真はお城の屋上にある庭園です。

小高いこの街のさらにお城のお気丈に土を持ち上げるのに何年もかかっています。
今ではこの辺りでは最も古い杉の木の残っている場所になっています。

 

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ここからわれわれは山の奥の修道院へと移動しました。

P1010023 トゥリスルティ修道院。

山深い中にあって、かつては自給自足の生活をなさっていたのです。

また、山で取れる薬草で薬を作っていたので、その薬局が今も残っています。

庭の手入れも行き届いていて、中にはこっけいな刈り込みをした植え込みもありました。

 

売店ではここで作られた薬用酒や、ローマの同系統の修道院で作ったチョコレートを販売しています。

ここでも皆さんのお土産が充実してきました。

私はといえば、せっせと薬用酒を買い込みました。(笑)

日本のお坊さんも般若湯といってお酒をたしなみ、修道士さんたちも薬用ということでやはりお酒を召し上がったかと思うとおかしいですね。

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修道院の内部 (薬局)

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修道院の遠景

 

この後少し大型のスーパーマーケットへ行き、皆さんは帰国後に思いをはせてたくさんのお土産を買っておられました。

私はといえば、昼食がヘビーだったので、普段から小食の皆さんに、今夜またどこかのレストランでの夕食はちょっと大変だろうと思い、我が家で簡単なものを食べていただくことにしたのでそのためのものを少し買いました。

アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノのパスタとスモークサーモンやリコッタチーズなどの盛り合わせです。

 

普段、私は誰にも台所には入ってもらわないのですが、なぜかこの日は気軽にまみるさんたちに手伝ってもらってスムーズに準備が整いました。

いつもきつい冗談が飛び出すまみるさんのご主人に褒めてもらって心底うれしかった私です。

できれば夜明けまででも飲んだりだべったりしたいところですが、あまり若くもない私たち、しかも明日はポンペイの遺跡を巡るという観光の意味でのハイライトが待っています。

適当なところで切り上げ、皆さんの滞在するLa Pace=ラ・パーチェへお送りしました。

 

第1回イタリアオフ会  その1

2年ほど前まで、「オフ会」ということの意味も知らなかった私。

そしてその意味を知ってからも、地球の反対側で暮らす身にはまるで関係のない話だと思っていた。

時折、イタリア在住の方やツアーで近くにいらした方とお会いしたことはあるけれど、「イタリアからボンジョルノ!」 の正式なオフ会というものを今月21日から24日まで持つことができて、こんなにうれしいことはない。

 

イタリアに恋をした方がいて、その方の提唱にいつもうちの掲示板でおしゃべりをする仲間のお二人がすぐに賛同してくださって、話はほんとうに現実へと向かっていった。

 

ふつう、友達づきあいを始める年頃に引越しや転校を繰り返したせいか、私には幼馴染もいなければ、学校卒業後も付き合っていた親友と呼べる友も一人しか居なかった。

しかもその親友と大喧嘩をして何年も音信普通だったのである。

 

また、私は両親との3人家族で育った。

両親共に、その両親たちとはすでに死に別れていたので、わたしは祖父母というものを知らない。

そして私は一人っ子。

つまり、私をこの世で愛してくれたのはたったの二人だけ。

もしも祖父母が居て、2,3人の兄弟がいれば、それだけで10人近い人が私を愛してくれただろうに。

もちろん両親の愛は大きく、深く、強かったけれど、祖父母の感触を、兄弟愛というものを、わたしは想像するほかはない。

 

ところが、地球の反対側から私に会いに来てやろうという方たちがいた。

もちろん私の住むイタリアという国の魅力もあるだろうが、うぬぼれ屋の私には、皆さんが先ず私に会うことを第一に考えてくださったのではないかと思う。

それがうれしい。

 

めんどくさがり屋の私は、友達づきあいもつい怠りがちになるくらいだけれど、今回はべったりとご一緒して、少しでもローマを好きになってもらいたいと努力した。

昔はそれを生業にしていたのだが、やはり10年のブランクは大きい。

何よりも、私は観光バスに乗ってガイドをしていたので、今回、自分の車でローマの混雑の中を、進入禁止や一方通行の多いところを走るだけで疲れてしまった。

 

もしも専用車を使って観光していたらもっと気楽に楽しく時間的にも有効にやれたかもしれないと思うと少し後悔が残る。

その専用車を主人が生業としている事が妙に引っかかって、なるべく自分の車で済ませたかったのだ。

私に会いに来てくれる方々が、そんなことを気にするなんて思っていた私がばかだったと今頃思っている。

 

さて、先ずは到着の日。

すでに写真で顔を知っていたので、到着口から出ていらした時にすぐに気がついた。

報告を書くために出てこられた瞬間から写真を撮ろうと待ち構えていたけれど、片手でシャッターを押し、もう片方のてで「ここだよ」と合図をしていたので、写真はもちろんピンぼけ。(笑)

出会い
 

カメラをしまって、抱き合ったとたんに熱いものがこみ上げてきて・・・

 

空港から今回皆さんが滞在なさるホテルのある街まで、1時間半ほどの距離。

陽気なカティアという女性の運転手さんも交えてにぎやかにホテルに着いた。

 

チェックインのあと、機内で食べ過ぎて食欲のない皆さんだったが、やはりここは乾杯をしないとね。

今回の参加者はYukoさん、hitomiさん、まみるさんご夫妻。の計4名。

時差や長い飛行でお疲れのまみるさんご夫妻は早々に引き上げ、ついでhitomiさんも部屋へ。

自分はイタリア人だというYukoさんは、時差などどこ吹く風、放っておけばきっと夜明けまで飲んでしゃべっていたことだろう。(笑)

 

翌朝、9時に約束をしていたのに、息子の体調が悪く30分遅れでホテルに着き、先ずは滞在しておられる町をさらっとご案内。

紀元前10世紀からの街にはローマ時代の貯水槽の跡や、キリスト教以前の神社の土台が残リ、その上に教会が建っている。

 

そこからまずは大きな湖のある街カステルガンドルフォへ。

そこは教皇の夏の住まいがあることで有名。

湖をバックに写真を撮ろうとしたら「とってあげましょう」と言う日本語が聞こえた。

なんとアメリカからの旅行客だったが、父子共に日本語が上手で驚いた。

 

そのあと早速ジェラートをほおばり、教皇の一般謁見がある広場を散策し、次なる目的地ローマへ。

ローマから南へ延びる街道は有名なアッピア街道。

今は新しいのがついているが、平衡してアッピアアンティーカ(アッピア旧街道)がある。

今は住民以外の車の乗り入れは禁止になっているが、われわれが写真を撮っている間に、数台かの車が行き来して、2000数百年前の道が今も現役だとわかってもらえたようだ。

 

これまでにも何度か言ったと思うけれど、ローマの素晴らしさはそこにある。

3000年近い歴史を誇るという街であるだけではなく、その間いつも首都として歴史が途切れることなく続いているということ。

それが政治だけでなく、美術や宗教の首都であったということも含めて。

 

そのあとは昼食をはさんでいよいよヴァティカン市国にある世界最大の教会、サンピエトロ寺院へ。

キリスト教の教会は普通教会と呼ぶけれど、大昔のバジリカ(裁判所)と同じような建築様式で立てられた大規模な教会は今もバジリカと呼ばれ、訳すさいには寺院と訳している。

 

サンピエトロ寺院もテロ行為に備えて警備が厳しく、手荷物はもちろん人も空港にあるような探知機の下をくぐってやっと入っていける。

かつて、かのベルニーニの手による素晴らしい正面階段をゆっくりと上って教会へ入っていったものだが、いまやそういうのは夢のまた夢。

 

でも、教会のなかはたくさんの人で混雑はしているものの、ちょっと心を澄ませるとミケランジェロのピエタ像が、ベルニーニの天蓋やカテドラ・ペトリが、おびただしい数のモザイク画が、それぞれに何かを語りかけてくる。

 

かつては、この壮大な教会を、広場も含めてわずかこ1時間で紹介しなければならず いつもジレンマを感じていたけれど、今日はゆっくりと心行くまで説明できてうれしかった。

一部、入っていけないところがあったのは残念だったが、ご時世だから仕方がない。

 

そのあとはベネト通りでお茶をということになり、車を走らせたのはいいけれど、ちょうどラッシュにぶつかって、遅々としてすすまない。

そこで少しでも早くと思い、ボルゲーゼ公園の地下にある駐車場へ車を入れたのはいいけれど、初めてのところでトンと要領が分からずあたふたして皆さんにご心配をかけた。

 

そこからローマには珍しい地下のアーケードを通ってベネト通りへ出た。

ローマで最も優雅な通りといわれるベネト通りを、もっと優雅にゆっくりと散歩すればいいものをどうも私はせっかちで、さらに人を歩かせることが気になってしょうがない。

そこで、すぐそばのBarに入って飲み物を買い、自分はさっさと車を取りに駐車場へと戻っていった。

 

そのBarは、ベネト通りの表通りではなく、横道にある昔ながらのBarで、優雅さはない代わりに値段も庶民的で、しかもわれわれは飲み物を買っただけなのに、いす席に座ることをOKしてくれた。

普通こちらのBarでは立ち飲み料金と座って飲む料金とには数倍の差があって、座ったときにはそこへ注文をとりに着てくれ、運んでくれるサービス料や席料が入るものだが、外国人と分かって、おかみさんが鷹揚に対処してくれたのだった。

それでも、次回は少々高くても、ベネトの表通りで素敵なウエイターにサービスをしてもらって優雅な気分に浸っていただこうと思っている。

 

それにしてもローマの一方通行や進入禁止はどんどん広がり、目の前へ行くにも大きく遠回りを余儀なくされる。

そういうことにつかれてしまったので、この日はこれで見学をやめにして、残りの観光地はまたの日にということにした。

この日の写真が一枚もないのは、日本から持ってきてもらったカメラを持って出たのはいいのだけれど、前日に電池の充電をしていて、その電池を入れ忘れてきたからなのだ。

ああ、なんてこと。

マンマ・ミーア!